したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

TK師との会話

6TK:2013/08/10(土) 10:03:39
(前の続きです)

「人の為」「世界の為」「人類の為」「神への奉仕の為」「愛と感謝の思いを込めて」大いにやってください、
私もラピ。さんもその実践をして成就したのですからこの件についても胸を張って述べる事が出来ますが、
最終的には実践不能の状態でこの実践は成就を迎えます。私もできるものならまだこれらの実践をするのですが、
逆立ちしても不可能なのです、つまり、意識の状態がこの実践の成就を迎え根幹から変容したと言う意味です。
「清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような〜」スッタニパータと言う
経典に出てくる表現ですが、この状態が完成形ですから。

「人の為」「世界の為」「人類の為」「神への奉仕の為」「愛と感謝の思いを込めて」が出来るうちは大いにやって下さい、
ただし、その実践が出来るうちは私の居る所まではまだまだ全然至っておりませんので、
そのような状態で人に何かを説くなどの行為はくれぐれもしないようにして下さい、
これは説かれた方も当然に至る事が出来ず害がありますが、説いた方にも害があるので、ご法度です。

まず、自分から先に成就をする、それをしないで、あるいはしたと誤認して、人に教えを説く者をイエスは偽善者と呼びました。


マタイの福音書 7章3-5
>また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
>兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。
>見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。
>偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。
>そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。

マタイの福音書 15章-14
>彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人の手引きをする盲人です。
>もし、盲人が盲人の手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」

ラピ。さんの至った所は、もしも人から認められず否定されるようなことがあったとしても、
本人にとって揺るぐことのないものであるわけですが、私も今回ラピ。さんが成就していただけたおかげで、
ようやく次のような聖典も実績として説く事のできる身の上となりました。


ルカの福音書 6章-40
>弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。

マタイの福音書 7章16-18
>あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、
>いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
>同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
>良い木が悪い実をならせることはできませんし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。

(長いので続きます)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板