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TK師との会話

48TK:2013/09/16(月) 18:06:01
(続きです)


やがてこの状況に順応してくると、これが神との合一状態であることが見えてくるのです。


「神はいずこに」バーナーデット・ロバーツ
>そこでは、神と自己との区別がない、ただひとつの「在る」と言う感覚があるだけです。



そして、自分の内側が滅びて無くなりますので、やがて信仰の生活から信仰の無い生活に戻るのです。


「神はいずこに」バーナーデット・ロバーツ
>そこで、今度は世俗の現実世界へと戻る旅になります。最初は内へ向かう旅でしたが、一転して、外へ向かう旅が始まるのです。




この辺りは実は釈迦も話をしています。

釈迦は「信仰」をイカダに譬えて激流を渡り終えたら手放しなさい、
捨て去りなさいと教えているのです。

ただし私は言います、それが的を得た本当の教えなら、
マザーテレサやバーナーデット・ロバーツのように神への信仰不能と言う意識変容(対象の消滅)で
終了を迎えるので、信仰の実践を捨てるな手放すなと教えます。

私も実践できるのなら実践するのですが、
このような信仰が持とうにも持てない意識変容(信仰対象を含むすべての対象の消滅)
の状態になるなど実践中は夢にも思いませんでした。

私の前から、信仰の対象である「神」が消え去ることなど夢にも思いませんでした。


スッタニパータ1146
>(師ブッダが現れていった)、
>「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、
>そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」

スッタニパータ1082
>師(ブッダ)は答えた、
> 「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と説くのではない。
>この世において見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、
>また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、
>心に汚れのない人々──かれらは実に『煩悩の激流を乗り越えた人々である』と、わたしは説くのである。」


相応部経典9-10-4〜5
>「修行僧よ。そなたは、修行僧たちとともに住んでいるのに、なぜ真理のことばをとなえないのか?
> 真理のことばがとなえられるのを聞いたならば、心が清らかな喜びにみち、現世で人々の賞讃を博する。」
> 〔修行僧いわく、―〕
> 「昔は、わたしは離欲を達成するまでは真理のことばを学びたいという願望がありました。
>いまやわたしは、離欲を達成したからには、見たことでも、聞いたことでも、考えたことでも、
>すべて知った上では捨て去らねばならぬ、ということを、立派な人々は説かれました。」



なお、私もイエスから次の承認を受けた者ですので、
エゴが異論を唱えたくてうずうずする者がいるとしてもこの件に関しての反論は許されないことなのでお断りだけしておきます。
(それとも偽キリストになりたいですか。)

ヨハネの福音書14・21
>わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。
>わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自信を彼に現わします。

(続きます)


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