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TK師との会話

47TK:2013/09/16(月) 18:05:14
(続きです)

バーナーデット・ロバーツは著書の中で、次のように説明しています。

>キリスト教では、このプロセス全体は「変容的合一」と呼ばれています。

中 略

>そこでは、神と自己との区別がない、ただひとつの「在る」と言う感覚があるだけです。


真剣な信仰を実践すればするほど、自分の前から神が消える段階に入ります。

それが、実践の本当の意図している成果だからです。

私の言葉で書くより、バーナーデット・ロバーツの言葉をそのまま引用します。

なぜなら、私だけがこのように話しをしているのではない事が、
まだ至っていない人の誰が言っている事が本当なのかの判断基準になったりすると思われるからです。

人間の寿命など短い、どうせ一刻一刻、寿命を削りながら生きているのなら、
正師のもとで正しい実践を少しでも多くやった方が得策と言う物ですね、
そのためにあえて、この人の文章を引用します。


>ここで注意すべきなのは、自我が脱落するまでは、
>私たちが知っている最も深い、
>最も神聖な自己は「自我-自己(自我という自己)ego-self」である、
>ということです。私たちは、自我がなくなった後になって初めて、
>自我が本当は何であったかを知ります。
>
>それまで「自己の中心」であった自我は、虚偽でも悪でも、また、
>必ずしも利己的というわけでもありません。それどころか、神を体験し、
>神と聖なる生への探求に全力を注がせたのは、この自我でした。
>
>自我が偽りのものになるのは、神を拒絶し、自我にのみ執着するときです。
>
>私の場合、旅の初期には、後に「自我」だったとわかるものを、
>「本当の自己」あるいは「真の自己」(表面的な自己に対するものとしての)と呼んでいました。
>
>脱落以前には、これが私の知っている最も深い自己であったからです。
>
>この「最も深い自己」が脱落する事があるとは、
>一瞬たりとも考えたことがありませんでした。けれども、魂の暗夜の中では、
>この自我という中枢が脱落すると─それが神に結びついていたものですから
>─神の体験もすべてなくなってしまいます。すると、
>まるで神がいなくなったように思われ、まず、
>なんとかして神を見つけようとします。
>
>私たちは神においてしか真の自己を見出せないことを知っているからです。
>
>「霊魂の受動的な暗夜」すなわち「自我中枢の脱落」は、
>自分自身の中に空虚と空洞を見る恐ろしい体験です。神もなく、
>深奥の自己もなく、
>あたかも自分の存在の中心が突然消え失せてしまったかのように、
>まったくの暗闇の中に、取り残されるのです。

(続きます)


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