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TK師との会話
38
:
ラピ。
:2013/09/01(日) 22:38:12
☆TK師匠
師匠、いつもありがとうございます。
それでは私の道についても少し詳しく書こうと思います。
今までも軽くは何度か書いてるとは思いますが。
内容は独特なので、読んでて「嫌だな」と思ったら読むのをやめてくださいね。
私の最初の「自分を捨てて、なんでも心から喜んでしよう。」の実践は
それまで我がままに生きていた自分を反省し、
「そういう私はどう生きたらいいか?」と問うた時に得た答えでした。
実はこの実践が「自分」を守ってくれる実践であることも気づいてました。
だからとことん実践できました。素直に自分を捨てることができました。
あとはひたすら実践でした。
この実践は「自分を信じて実践」とも言えました。
自分を信じて実践し続けました。
だから実践を続けることは「自分を信じ続ける」ことになりました。
「自分を信じ続ける」ことによって「自分」というエゴが増強されていきます。
この実践の意味も知らず
ひたすら「そうするべきだ。それ以外の生き方はできない」と実践しました。
そう生きていると、「ぼー」っとした生き方はできません。
そしてもう前の行き方には戻れませんでした。
それまで無意識に好き放題に生きてたことが
どんな風だったのか、わからなくなったからです。
その実践をする前の生き方にはもう戻れませんでした。
なので、もう進むしかありませんでした。
かといって辛いわけではなかったです。
ただ、人となじめない感じはあったかもしれません。
そんな生き方をしている人は少ない。
普通の人は嫌なものは嫌だと顔に出したり、嫌ならしなかったり。
でも そういうある意味自分の感情に正直な生き方が私にはできなくなりました。
というか、自分のその時の感情がどうなのかもわからなくなっていたかも。
感情すら捨てての実践ですから。
ここがメンタルの鍛錬につながっていたのかもしれません。
勝手にそういう道を歩いていたようです。
私が高校のときに言われた最高のほめ言葉があります。
「いいなぁ。悩みなさそうで。」これです。
そう言われてみれば意思をほとんど実践に使っていたので
悩む時間(意思)はあまりなかったですね。
かといって悩んでいなかったとは言えないかもだけど
そう友達に見えたということは、私の実践はある程度成功していたのだと思います。
そして大学生になっても変わらず実践。
そしてこの実践をしていて ついに師匠のいわれているとおり
行き詰まってしまい、どうしようもなくなります。
その生き方を否定される出来事が起こったのでした。
自分そのものが否定された感じでした。
私はその生き方で生きていたので
その生き方を否定されたら、どう生きていけばいいのでしょう?
大げさかもしれませんが私はそれほど自分を信じてとことんやっていました。
とことんやっていたからこそ その否定された出来事は
私の人生そのものを否定することなり、
私はどう生きていけばいいかわからなくなりました。
その実践が自分の生きている証のようなものだったのですから
もう生きてはいけないでしょう?
自分を信じての実践=エゴを信じての実践。
そのエゴを否定される出来事が起こってしまった。
、、大げさですね。でもそのときの私にとってはそうだったのです。
自分が信じられなくなり、普通の生活ができなくなってしまった。
どう笑っていたかも、どう動いてたかもわからなくなってしまった。
何を元に私は生きたらいいのかわからなかった。
(エゴの次元では 生きるために生きる理由が必要だったりします。)
続きます。
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