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TK師との会話
36
:
TK
:2013/09/01(日) 18:15:13
私は以前は今のアメリカのような生き方をしていました。
力こそ正義だ、力さえあれば弱い人たちでも強い者たちと同様に、
集団の中でも自分の理想を実現できるに違いない。このような理想の元に、
私は力の無いと思われる人たちに力添えしてこれを実現しておりました。
これも「人の為」と言う生き方の理論は入っているのです、
ですがなぜこれが私がここで説く「人のため」と言うものと違ってエゴが増強するかと言うと、
弱い立場と強い立場と言う相対の関係の中の、
強い者に挑んでいくと言う姿勢があるのです。つまり、戦いの世界、阿修羅の世界です。
「正義の名のもとに」戦う、聖戦、これも正に阿修羅の世界です。
今、社会はアメリカを初めこのような次元にありますね。
もちろん文明の発展段階としてこの戦い(競争)阿修羅の段階は必要なものであると私は思います。
これを充分にやったら次に進む、
その意味で「正義の名のもとに戦い」聖戦は決して文明の発展段階の途上としては間違っていない。
ひたすら「聖戦」を否定する人もいますが、
私は自分自身の今に至るまでの発展段階に照らし合わせると、
エゴを正しい方向で強めるために必要な過程であったと思いますので、
私は今の世の中のありさまを否定しません。
ただし、やがて行き詰る、社会も行き詰り、もがき苦しむ、そうしたら次が開く。
実は、ラピ。さんの「自分を捨てて、なんでも心から喜んでしよう。」これは、
教えとしては完璧なのですが、
これが実践当初は劣った精度と低次元理解に基づく実践だった事により、
メンタル面の作用としては、理想的な生き方の要素が強くなり、
エゴを正しい方向で強める手段として作用した訳ですね。
したがって、やがて行き詰り、追い詰められて混乱に突入した。
悟りに至るためには、この過程の全てが絵に描いたようにヒットしていましたね。
実践方法については、ここでお話したように、ちょつとした僅かな実践上の違いで、
効果の仕方が変わったりする精密機械のような要素があるのです。
ですので、先にお話ししましたスピ系で賢者の吐き捨てた言葉をごちゃまぜに拾い集めた結果、
例えば9個の賢者の使える言葉があったとしても、
1個の不適切内容が混ざってしまう事により全体として全く使い物にならない、
ただの酔っ払いを多数製造する結果に至ります。
したがって、何度も話しますが、盲人が盲人の手引きはできない世界なのです。
(続きます)
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