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TK師との会話

340TK:2014/02/08(土) 09:35:54
(続きです)

その一番の見抜き方は、
この者に付き従ってもいつまでも自らの中に「激流」が発生せず「緩流」しかおきない、
この状態の場合はその師はニセ者であると判断し速やかにはなれよ。

酔っ払いとして一生を棒に振る事になる。


さらに、これは物質としての実践、つまり、
「人への執着を拠り所とした理想段階の実践」を限界までやりぬいた者が進む道であり、
つまり、理想段階をやり抜いている者以外、ご法度という事だ。

私などは、激流の実践段階において、教会やキリスト教の集会に顔を出してみたが、
そこにはとても優しく親切で良い人たちしかいなかった。

ここに魅力を感じるかどうかだ、
人の温もりを欲している段階の者はここに引っかかる、
その者はこのような所に出入りしてはならない、
宗教色抜きにした理想段階の実践をもっとやらなければならない、実は私は、
それを精一杯やってこれ以上先に進めなくなったことによりここに参加したわけで、
その優しくて親切な人たちの集まりには、欠片も魅力を感じることは無かった、
このような者はもはや激流に進むしか手が無いのだ、
これが激流に進んで良い段階か悪い段階か否かの判定法だが、
私はこのような所には寄り道せず一人歩む事を選択した。

その時の私にはそのような親切で優しい人たちの集まりには、
全く欠片も魅力を感じなかった。

それをやり尽くしてこのようになった者以外は、
激流に踏み込んではならないものと心得ておけ。

人の温もりを求めて喜んでいる者たちに、
宗教や精神世界そのものがご法度なのだ、よく心得ておけ。

所がこの界隈、右見ても左見ても、
ニセ者とそれにつき従う酔っ払い集団しかいないのだ。

この界隈の狂った者と言うのは、世界を何とかするのだとか、
このように世界に執着するのは良いとして、不快な事にも全てに感謝せよとか、
そのための仲間とか、理想段階、激流段階ごちゃまぜの完全に狂っている。

このごちゃ混ぜの人たちは残念ながら、一生を無駄に終える人たちなのです。

同じ仏教は仏教でも正反対の実践が入り込むのですから、
仏教以外のどんな教えであっても、ただしい教相判釈は必要不可欠でありごちゃ混ぜは地獄行きです。

あなたは何でもかんでも手当たり次第取り入れてごちゃ混ぜをやっていませんか。

残念ながら公的資格制度はありませんが、エセでは無く、正しい師の元で学びましょう。

私はこのような話をする時には、今までに遭遇した現実の人物を題材に話をしています。

手当たり次第のごちゃ混ぜのエセ覚者がいたのです。

教相判釈に価値を認めていないようでした、と言うより、その者に出来るはずなどない。

だからこそ、その者から段階的な教相判釈の内容が飛び出すことは無い。

その捉え方は科学的な常識に照らしても欠点大ありですが。

まともな実践者に応じた段階的な教相判釈もなしに、何でもかんでも手あたりしだい精神世界知識を取り入れて、
それで害が無い訳が無いのです。


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