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TK師との会話
329
:
TK
:2014/02/03(月) 18:41:08
ピッタリ4カ月とは、ゴロが良かったですね。
成道記念は5月13日、これも5月12日の翌日なので覚えやすい。
>進めていくうちに、本人の過去の経験である第2次激流実践の成果で、
>激流の基礎段階は既にクリアーできている事も判明した。
実はここはポイントの一つで利点でもあり難点でもありの部分でした。
うまく行き僅か1日で渡れましたが、
中途半端であれ曲がりなりにも以前の実践で至れている部分が災いして、
下手すると激流が起こし難く先に進む推進力が発生させられ無い可能性が無きにしも非ずでした。
それが次の判断の理由の一つ。
>しかし、この時ばかりは、
>この人物こそ激流の地獄に突き落とす事をためらう必要が無いとの判断から、
>その実践内容の全貌で踏み切った。
とにかく推進力(激流)が得られなければ、停滞するしかありません。
いよいよとなれば、タパスと言う切り札が無いわけではありませんでしたが、
そのカードは切らずに済みました。
確かに第2次実践は良く頑張りました。
ただ者ではありません、しかし、激流の実践とはそういうものなのですから、
軽はずみな気構えで踏み込める領域では無いのです。
この中途半端な成就でフローを手に入れたのです。
ちなみに、体が動かせなくなった、これ、
エセ覚者にどういうものか回答してもらって本物判定の審査基準の一つにしたらどうですかね。
どうも、この世界、公的資格制度みたいなものが無いと、
でたらめがあちこち出回っていて、既に収拾がつかずの状況ですから。
この件についてなら、日常生活に影響が出る内容についてですし、
私はそういうものには関心が無いんだ、では済ませられません。
私の書き込みを削除しまくりながら、必死に逃げたあのエセ、
信者ゴロゴロひきつれて、みんなで一緒に地獄ツアーも良いかもしれませんが、
あんなデタラメが、世も末です。
末法の世と言いますから、善意なら許される、
むしろあれがでたらめと知っている我々の方が責任があるようなものですね。
我々は善意すらありません。
君の不完全な成就は「自分を捨てて」これが無かったのです、なぜなら、
君は「自分を捨てて」の実践を否定されて、
その代りに第2次実践がスタートしたのですから。
その時の最後に君が乗り越えられなかった壁、つまり恐怖心の正体は保身でした。
どのみち頑張っても、あの段階では超えられない壁でしたね。
自分を捨てないイコール保身ですから。
ベクトルが違っていたのです。
確かに、私に出会ったばかりの君に、
人のためと言う言葉を最初にぶつけた時の反応は、
全く持って自分のため以外ほとんど関心ありません的な反応でしたからね。
それが至れない原因でした、最後の恐怖心の正体が「保身(自分を大事にしたい)」なのですから。
その結果、個人的な部分の空っぽだけが成就して、すなわち、
EO氏の言う所の魔境がその空っぽの中に入り込んだ訳です。
私は「自分を捨てて」、これを君に成就させたわけです。
激流の実践は強烈なインパクトがあり印象強いものではありますが、
最近私が重要視しているのはむしろ、
激流に飛び込む前の此の岸の外れの崖っぷちに至るまでの方です。
ラピ。さんにしろ、
激流に飛び込む以外に無いところまで追いつめられたわけですね。
ここに立った者は否が応でも激流に進みますが、
この飛び込み台に立ってもいない者はやはり激流の実践内容に手を出す資格が無い。
このあたりは私もEO氏と同様の結論です。
資格が無い者は、
本当の意味での激流は作り出せないで形だけを真似した精度を落した緩流で、
やっている気分だけの酔っ払いになっていました。
相手にするだけ無駄と言うだけに済まず、害を及ぼす事になる事が、
今までの実験でほぼ確実であることが掴めています。
しかし、私にとっては激流の実践だけが全てではありません、
光の存在から教えられたその前の第1次実践も充分に幸せで私にとっては価値のあるものでした。
それが善を拠り所とした理想の実現です。
スピ系の実践が理想ですは単なる酔っ払いですが、
地に足つけた人間としての生き方を精一杯生きぬくという事です。
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