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TK師との会話

312ラピ。:2014/01/23(木) 08:40:36
みなさん、おはようございます。

☆TK師

私の最後の激流の流れですが
まず師の言葉によって私の中に葛藤が起こりました。

その葛藤が第2の実践の時と同じ状態であったのを思い出し
(ちなみにこの頃、その激流の様子をほとんど忘れていました)
第2の実践が激流を渡り、彼岸へ足を突っ込んだ出来事であったのなら
この葛藤が私の「道」であろう、と直感しました。

第2の時はとても怖かった。
自分が消えそうで怖かったのです。

だから自分にしがみついてしまい
「エゴ」が消滅しきれませんでした。

ただし、そこでの経験が私の経験となって
私は彼岸からそれを持って帰りました。

私の経験として残りました。

そして私は第4の実践の開始前、その経験により
この実践が激流を起こすものだと わかりました。

さて、ここで第2の激流を思い出しました。

言葉にしてしまえば軽く聞こえるかもしれませんが
第2の激流は本当に、本当に命を懸けるとはこのことで、
一秒たりとも気が抜けない
真剣勝負そのものでした。

その激流にまた飛び込むのです。

ただし、第2と第4の実践に大きな違いがありました。

まず第2の実践によって得たこと(=消滅したもの)があること。

(私はこの頃、第2の経験のおかげで
思考が起こらない、空っぽができるようになってました。
最後の激流の時、起こった思考は1日で3個くらいです。
ただし、私の特性でしょうか、
そういう思いすらも切り捨てることができていましたので
起こった思考も数秒です。
思考が起こったら、あるいは起こる前に即座に切り捨てることができました。
あとはひたすら実践のみ。)

そしてTK師の存在です。

TK師はあの激流を渡り終え、今生きている。

私はTK師の存在が私の道を保証してくれる気がしてなりませんでした。

TK師が渡った道を私も渡るのだ。

TK師のいるところに私も行くのだ、と思いました。

なにより、TK師の言っていることがわからないので
それがわかるようになりたかった、、、。
(これが一番の動機だったりする。(笑)

そして激流に飛び込みました。

師を信じることによって激流に飛び込めたのですね。

激流中は
「死んでも構わない。
ここでやめたら死ぬのも同じだ」という気持ちでした。

激流中は死ぬ決心ができていましたので
ひたすら実践しました。

「何があってもやめない」

という決心でした。

大げさに聞こえるかもですが本当にそうでした。

あとはなにも信じず、何も思わず
ひたすら実践を自分に命令し続け
実践し続けました。

(ちなみにこの時点で 
そう命令する自分が本当の自分だと思ってました。
ところがどっこい、でした(笑)

だから正直言って
本物の激流に飛び込むなんて私からはお勧めできません。

どうしようもなくなって飛び込まざるを得ない人が
自分の意志で飛び込むのです。

命を懸けなくても渡れる激流は偽物です。

なぜなら激流によって確実に「エゴ」が消滅するのです。
それほどのものなんです。

消滅する覚悟が必要です。

ちなみに本物の激流が起こること自体もまれかもしれません。


>第一次実践の自分が一心に信じてきた生き方が否定されたことにより、
>何が何だか分からなくなったところからスタートを切っています。

はい。
第1の実践の生き方が私のすべてだと思って
精一杯しました。

だからそれを否定されたことは
私自身の存在を否定されたのも同じでした、その時は。

そこから何を信じていいかわからなくなりました。
なにもわからなくなりました。

ここからですね。

@(*・ω・*)ポッ


激流を渡り終えたら彼岸です。

私は今はおかげさまでくつろいでおります。

TK師、ありがとうございます。


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