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TK師との会話

30TK:2013/08/31(土) 11:52:32
私はたまに思う事があります。

何で科学者と言うそれで収入を得て職業にしている人たちがいるのに、
私が人類の最先端のメンタルのこのような話しをしているのだろうかと。

しかし、私が苦悩しているその時に科学者と言う人たちの言葉の中にも、
当然義務教育とか学校教育の中にも、その苦悩の解決の答えはありませんでした。

これは一般には広がり難い点を含んでいるからなのです。

もし、この内容を話しするための資格制度を設けるとしたら、
これは達した者しか話す事が出来ない内容なのです。

ルカの福音書 6章39-42
>イエスはまた一つのたとえを話された。「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。
>ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。
>
>弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。
>
>あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
>
>自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、
>『兄弟、あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。
>まず自分の目から梁を採りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、
>取りのけることができるのです。


立場、職業関係なく、今この物質文明の行き止まりの問題点が、
感受性が鋭そうな人間に先にそれは到来するという事です。

私が苦悩した部分は、物質文明の中で「思いっきり」生きる事さえすれば、
当然に出てくる疑問の数々でした。

快を喜び不快を嫌う、その延長線上で幸せを追い求めたら、
やがて崖っぷちに立たされる。

その先を進む方法が快を喜ばず不快を喜ぶ、物質文明からその先に進む方法、
それがアセンションであり今は過渡期です。

私たちは低次元の固定観念に、そうとは知らずにはまっています。

例えば、皆さんが知らずに使っている、あの人に楽をさせてあげたい、とか、
これは表現を変えると「あの人に楽をさせてあげたい」は「あの人にエゴのままに生きさせてあげたい」
と言う言葉になるのです。我々に翻訳させるとその言葉の正体として生々しい言葉に早変わりしてしまいます。

「あの人を苦しませたくない」は「あの人にエゴのままに生きさせてあげたい」なのです。

快を喜び不快を嫌う、その延長線上で幸せを追い求めるこれが物質文明の正体でした。

(続きます)


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