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TK師との会話
267
:
TK
:2014/01/09(木) 19:43:14
他の誤認のニセ物覚者のサイトを見て回っていましたが、
いい加減やめたらどうなんだと言いたくなりました。
「相対と言う原理」はニセ者が理解する事はたやすくありません。
世の中を変えたければ、ニセ者はもう一度修練して本物になれば良いだけです。
ニセ者のままで進もうとしない事です。
それは世にデタラメをまき散らすことになり、
世の中にとって害になる行為でもありますが、
それより自分自身にとって良くありません。
釈迦も2度師を変えたくらいですから、至ったと思っても、
少し経ってみたらまだそれでは無かったという事はあるでしょうし、
自分で僅かにでも疑いが出てきた時には、
その僅かな疑いをそのままにして突き進んではなりません。
それは自分自身にとっても害をなす行為です。
それでは、相対の原理について話しますが、ただし、
理屈だけ取って行くような真似はしないでください、これは、
解脱による識別の超越により自ら体現できるものなのです。
仏典を良く読むと矛盾した二つの内容が出てくる事に気づくはずです。
スッタニパータ969
>智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。
>奥まった土地に伏す不快に堪えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。
スッタニパータ520
>安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、
>生と死とを超越した人、──このような人がきさにその故に<道の人>と呼ばれる。
同じスッタニパータの中のこの「善」について、
捨て去れと言ったり喜べと言ったり、
一体どっちを取ればいいのだろうかと思いませんか。
ちなみに「善悪を捨て去り」と言う方を取った人は外れです。
見て回った自称覚者と言う人の中には、こういう人もいましたよ。
ポジとネガ、両方に偏らないで中間で行くのが良いのですみたいな者が。(笑)
これは相対の原理と言います。
善と悪、肯定的と否定的、正しいと正しくない、自己と世界、
これ等は全てこの関係性の所のものです。
善行を実行し悪行を無くせば、その実践の成果は善悪の両者が無くなるのです。
善行だけになりはしないのです。
肯定的を採用し、否定的を無くしていけば、
最終的にこの肯定的否定的の両者は無くなります。
全てが肯定的だけになることはありません。
(続きます)
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