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TK師との会話

262TK:2014/01/05(日) 12:04:16
(続きです)

「マインドの解脱」は悪魔即ちサンスカーラに打撃を与え続ける事で、
激流が発生し、やがて善悪の彼岸に至ることが出来ます。

「マインドの解脱」は善悪識別を超えると言う意味です。

識別作用の消滅すなわち意識の焦点化機能の消滅で「対象」が消滅します。

つまり、私やラピ。さんの前には世界も無ければ、あなたもいない、
「対象」の一切が消滅した何も無い境地、
すなわち釈迦の言う識無辺処の次の「無所有処」です。

これ物質的な肉体をまとってこれを述べてるから、話が通じないのですが、
物質的な肉体が無くなってしまえば、
現象化させるための「対象」が無いのでこれそのものです。


善悪の超越、
これをヴェーダの奥義書であるウパニシャッドでは知者の解脱であると記述がありました。


タイッティリーヤ・ウパニシャッド - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89


知者の解脱
>「人間のうちに坐ますこの神人は太陽のうちに坐ますかの神人と同一なり」かように知る者は此の世から去った後、
>この食精所成の自我に入り、次にこの生気所成の自我に入り、
>次にこの意所成の自我に入り、次にこの識所成の自我に入り、
>次にこの歓喜所成の自我に入るのである。
>
> かような人間はもはや「私は何か善行でなさなかったことがあるか?」
>「私は何か悪事を為したことがあるか?」などという心遣いに悩まされるということはない。
>
>かように知る者は善悪の両者から自己を離脱する。
>
>まことに、かくの如く知る者はこの両者から自己を脱離する、というのが秘儀である。



実は心臓から「個の存在」と言う、
マインドレベルよりもっと深い位置の感覚が発せられていました。

サンスカーラの作用の影響を受けるレベルより、ずっと深部です。

これは深い瞑想に入ると遭遇することが出来ますが、マインドレベルを滅却し、
さらにさまざまな既成の固定観念も次々と見つけだし滅却し、
そうすると最後残ったものとしてこの心臓から発せられているある種の感覚に突き当りました。

この感覚を取り外すと、
頭のてっぺんから足の先まで自分自身が消失し「個の存在」と言う
マインドレベルの我よりさらに深い位置のものが消滅する事でもう一つの解脱に達しました。


アートマン - Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

>ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。


これが心臓すなわちサンスクリットでフリダヤ(hrdaya 心臓あるいは心)の解脱です。

そして、さらにその先がある、
それが釈迦が究極としているニルヴァーナすなわち「0」です。

私はここまで一通り辿り着け自らの中で実証できましたが、
それをまだ確実なものに出来ていない、それが以前の途上の者の表現の根拠ですね。

場合によっては、今頃生きてなかったかもしれませんが。

今の私の所まで来ると、エゴの推進力が利用できないので、ま、
のんびり行くしかないわけです。


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