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TK師との会話
240
:
ラピ。
:2013/12/29(日) 09:52:01
みなさまおはようございます!
@(*・ω・*)ポッ
ゆうこたんのコメントを見て
なるほど〜と思いました。
酔っ払いとは「信者」とも言えます。
自分以外の人や教えを信じて生きるという状態です。
例えばですがスピ系酔っ払いであれば
スピの教えを盲目的に信じて
自分の判断をスピ系に任せてしまう、といった状態です。
それでは的確な判断ができません。
TK師がこういわれていましたね。
>私に出会ったばかりのラピ。さんもこのような状態でした。
>何かおかしなものに憑りつかれて酔っ払っていて
>物事に対するまともな照準の合わせられない人のようでした。
まさしくその通りでした。
初めの師とのやり取りを今見ると
「私ってあほやな」としか言いようがない状態だとわかります。
でもその時は気づいていなかった。
スピ系信者で、変なものを信じていたために
きちんと人の話が聞けていませんでした。
私は「ポジティブシンキング」信者だったのです。
(昔の私のブログを見たらわかりますね(笑)
でもさらなる昔の私にはそれがありませんでした。
(途中スピ系信者になってましたが、
私はもともと そんなこと、大っ嫌いでした。)
なぜなら自分の「善」というものを信じていて
それ以外の教えは必要なかったからです。
(仏教もスピ系の教えもその頃は一切知りませんでした)
もし、自分以外のものに「善」の判断を預けてしまうと
自分の「善」と「自分以外の教えによる善」にずれが必ず生じます。
そういう時、どうしましょう?
教えをとって、自分の「善なる判断」を無視しますか?
いいえ。
それでは自分を生きていることになりません。
そんなときは迷わず、「自分の善」です。
それが自分を生きるということ。
自分以外のものに自分の「善なる判断」を任せてはいけない、ということです。
私は第一の実践の前に
自分にとってどういう生き方がいいか、
何日もじっくり問いました。
そしてしっかり問うて得た答えを指針に
生きることを決心しました。
>お手本なしに自分の描く理想は、果たして正しいのか?
>自分の判断基準に間違いがあってもそのまま生きていって大丈夫なんだろうか?
自分は今までの経験から何を感じたか。
自分は人がそれをしていてどう思うか?
自分は人に何をしてもらったらうれしいだろうか。
自分がどう生きれば納得できるだろうか。
自分が周りの人のためにできることはなんだろうか。
いろんな問い方があると思いますが
「自分」によく問うてみるといいと思います。
理想は人それぞれなので人の数だけあります。
自分の善なる納得する答えを得たら
迷わずその生き方をするといいと思います。
私はそうでした。
それが
「自分を捨てて喜んで何でもしよう」という指針です。
単純なこの言葉のみを指針に生きました。
この指針は自分がじっくり問うて得たものでした。
そして私は私の人生をかけてそれを実践したのでした。
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