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TK師との会話

23TK:2013/08/19(月) 12:01:01
真実を教えてスピ系の人たちの少し頭を冷やしてもらいます。

ダンマパダ39
>心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、
>目ざめている人には、何も恐れることが無い。

このような至った人の記述の部分的なものだけを見て、エゴが喜んで「善悪というものはない。」
などの言葉を掴んだものと思いますが、いかに愚行だったかを教えます。

至った後の人の状態の記述は、実践法としては全く何も参考になりません。
なぜなら、「世の中で駄目な人」と位置づけられる人たちと全く同じ表現となります。

例えば次が至った人の状態ですが、世の中で怠惰な人と言われている状態ですねと言われれば、
誰も疑う余地もなくその通りなのです。

「私は頑張る事は無いんです。」

「努力なんてしません。」

「勤め励む事などいたしません。」

「一生懸命に仕事なんてしません。」

「物事に対する集中力なんてからっきしありません。」

「誠心誠意の心を込めた行為なんてしません。」

「善いことなんかしません。」

「人の為になど、何一つしません。」

「思いやりもこれっぽっちもありません。」

「車の運転の時は前をよく見て運転しません。」

「人から注意を受けても反省はこれっぽっちもしません。」

「人を敬う事などいたしません。」

 等々

世の中で悪い見本とされているそのままの表現ですね。
これが至った人の真実です。

しかし、良く見て下さい。
次の「何もできない」と言う表現にすべて一括りにされることを、
今ここで一例として具体的に列挙しただけですと言われて、改めて見ると初めてその通りだなって思うでしょ。


[師匠への報告 (復活版)] by 大好き!ハッピー! な毎日☆
http://daisukirapisu.blog87.fc2.com/blog-entry-1652.html

>この私はだれですか?
>
>師匠、何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
>
>何もできないのですが
>この私はなんですか?
>
>師匠、これはなんですか?
>
>と送りました。


アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話より

>私は無だ。
>
>何も持たず何も出来ない。だが、すべてはわたしから立ち現れる。その源が私だ。その根底と源泉が私なのだ。

(続きます)


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