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TK師との会話
20
:
TK
:2013/08/17(土) 11:08:29
ニューエイジ - Wikipedia (2013年4月13日 (土) 03:03 UTC)より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8
>すべてでひとつである。
>偶然というものはない。
>弟子の準備が整ったとき、師匠は現れる。
>しなければならないことというものはない。
>善悪というものはない。
>信じる必要はない。
>努力はしなくてもよい。
>与えたものが返ってくる。
>すべてのものは聖なるものである。
>人には無限の潜在能力が備わっており、自分で自分の現実を作る。
>どんな現象も、自分がそれに与える以外の意味を持たない。(現実は中立である)
>アファーメーション(確認する)
この教えの主だった使い物にならない個所を説明しますが、恐らく理論も何もわからない者の手による、
(エゴにとって)都合のいい部分のみのごちゃ混ぜの寄せ集めなのです。
聖典でも、賢者と言う人の言葉の中にも、
実践方法と達成した後の変化した楽な状態と両方の記述が出てくると思いますが、
この編集をした者たちは実践方法ではなく、賢者の言葉の達成した後の楽な状態の記述を拾っています。
例えば次のあたりです。
>すべてでひとつである。
>しなければならないことというものはない。
>善悪というものはない。
>信じる必要はない。
>努力はしなくてもよい。
>すべてでひとつである。
このような言葉を「自分」が消えていないスピ系と思われる方が、
酔って良い気分になって振り回しているのを見たことがありました。
しかし、これは達成した者にとっては「自分」が消えているので、一つなのであり、
聖典や賢者はこれは実践方法としてではなく、達成した後の状態として語っているはずです。
達成する前の者が、自分の遭遇する「現象」と「自分」を対等な位置においていたら、
いつまでも「自分」は無くなりませんので、実践方法としては「現象」にたいして「自分」の立ち位置は下なのです。
「すべてでひとつである。」この言葉は実践方法としての方便ではありません。
>しなければならないことというものはない。
これも達成した後の者はこのようになると言う事であって、達成前の者は、
戒律など守らなければならない実践方法を「自分のしなければならない事として」決めて
確実に実践しなければ辿りつけません。
(つづきます)
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