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TK師との会話

139ラピ。:2013/10/20(日) 22:31:10
師匠、いつもありがとうございます!

はい!


>そして内側から必要な行為は起こってきてただ行為するのですが

まず、この表現からもまだ、至られてないことが分かります。

私もかつて、「からっぽである」と師に宣言していました。
この時点でのからっぽとは
確かにいろんな思いが浮かばなくなっている状態でありましたが、
肝心なものに気づいていませんでした。

でも、その肝心なものに気付いてないときは
とりあえず、「からっぽ」でいることにしました。

さて、滝沢さんのおっしゃっている「からっぽ」も
私のかつての「からっぽ」も
どんなからっぽでしょうか?

本当にからっぽでしょうか?

確かに思考は止まっているかもしれませんが
止まっているのですよね。

止まっているだけで「思考」そのものはまだ存在してるわけです。

消滅してからっぽ ではなくて
それを「選択する自分」がいるからからっぽ、ではありませんか?

「からっぽである!」と宣言する私がいて
そのからっぽを意図的にしているからこそのからっぽではないですか?

私はそれに気づきました。

私はからっぽそのものではなく、
からっぽをを意図する私がいる「からっぽ」でした。

「からっぽ」という対象が存在する状態、
「からっぽ」を実践している状態です。

まだ実践できていたわけです。
からっぽを、、。

エゴがまだ存在していたのです。

ここから実際に師に送ったメールをそのまま転記します。


師匠、
「頭が空っぽの状態であること」と「からっぽそのものであること」
は全く違いますよね?

私は彼岸がよいです。
空っぽの状態を保つ自分がまだいます、私には。

空っぽそのものがいいです。

今、空っぽの状態はわかりますが
あまりに穏やかすぎます。
だって空っぽですから。


師匠、「激流」が必要だとおっしゃってましたよね?

☆(ここまで)


ここで私は激流に飛び込みました。

滝沢さんも今、かつての私のように穏やかな状態でしょうか。

でも、何かをきっかけに暴れだす「自我」がまだいますね。

いや、それには負けないくらい
「穏やかである自分」を選択し続けるでしょうか。

では、穏やかであることに集中したり意図したりする自分はいませんでしょうか?

その「自分」を野放しにしても、ずっと穏やかでいられるでしょうか?


あと、「激流は起こりましたか?」
この問いの答えをいただいていません。

ということは、滝沢さんに激流は起こっていなかった
と捉えてもいいですね?


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