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TK師との会話

123ラピ。:2013/10/17(木) 21:41:16
☆滝沢さん

掲示板を見られている皆さんの
気づきのヒントになるかもなので
ちょっと話は戻りますが
書かせていただきますね。

滝沢さんの表現された言葉
「TKさんの自我への考え方がよく分かりました。」

ここなんですがTK師は「自我への考え」については
一度も書かれていません。

考えとは、人それぞれによって違うものであり、
正しい、正しくないというもの含んでいます。

人によって正しくなったり、正しくなかったりします。

師は「自我」という事実について述べられているのみであり、
それは絶対的なものであり、師の考えではありません。

そもそも至ってしまえば真実そのものになるので
表現することは「考え」ではなく「真実」なのです。


そして滝沢さんの引用されていたサイトですが

http://www.osho-japan.com/vision/dec_enlight.html

だから滝沢さんは「光明を得た」と宣言したのでしょうか?

この内容は「実践者」に対しての方便が書かれていると思います。

>もしかしたら光明を得ているかもしれないし、もしかしたら得ていないのかもしれない。
>そこに「もし」や「だが」はなかった。それは単純な言明だった。もう一度、繰り返そう。
 >あなたは光明を得ているし、そうであるしかない。

「もし」とか「だが」とか疑うことなく
光明を得ているものとして実践しなさい、ということです。

光明を探したり、求めたりするのではなく。

だから滝沢さんは「光明を得た」として
これから実践をしていく、ということですかね。


>もっと別の言い方をしてみよう。
>自分自身を光明を得た存在として敬うようになった瞬間から、あなたは誰しもをあるがままで光明を得た存在として敬うほかはなくなってしまう。

このように実践しなさい、ということです。

実際、至ってしまえば敬う対象は消滅するのです。

だから実践者にそう語られているのでしょう。


>見られるものは見るものになります。

この表現が滝沢さんの状態であるなら
残念ながら私たちの状態に至ってはないですね、、。

私たちの状態ではそんな表現はできません。


>書き込みをしていてこの次元での言葉の限界を感じてしまいました

かつての私も似たようなことを師匠に言っていました。

滝沢さんは自分の言っていることが
私たちに伝わっていないとお思いでしょうが
実は丸見えなんです。

@(*・ω・*)ポッ


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