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TK師との会話

12TK:2013/08/11(日) 09:44:52
一言述べますが、書店に行けば、あるいはネット上で、スピ系の本、又はサイト、セッション、
死ぬまで酔わせてもらえるような手段は沢山ありますので、
そのような方には今の時代は願望が手ごろに叶ってとてもラッキーな時代だと思いますよ。

ただし、これはこのサイトを見ている人の中にいないかもしれませんが、
本当に切羽詰まったような人、このような人たちにはかなり厄介な時代です。

何かの高次元の手掛かりがなければアセンションは無理です。

ただし、私自身は僅かながらの聖典を師にしましたので、生きている師はおりませんから、
一般的には無師独悟に分類される事になると思います。

メールと言う手段であろうとも、生きた師なら聖典よりなおいいわけです。

ただし、はっきりと言いますが、生きた人間を師として求めた場合、今は失敗するケースが多いです。

ラピ。さんが運がよかったのだとお考えいただいた方が良いと思います。

今は仏教でいう所の「末法の世」と言う時代です。


まっぽう(‥ポフ)【末法】
仏語。三時の一つ。釈迦の入滅後、正法・像法に次ぐ時期で、仏の教えがすたれ教法だけが残る最後の時期とされ、
一万年の間とする。日本では正法・像法各千年の後、永承七年に末法にはいったとする。末法時。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988


つまり確実なものとして教法だけが残っているとされています。

これもとらえ方で、教法だけは確実な手掛かりとなるものがあるのだと捉える事も出来ます。

「私は至りました、本物です」と複数の者が口をそろえてこのように述べても、本当かどうか判断が着きませんね、
忠告しておきますが、実際にはほとんど全てと言っていいほど、期待にかなうものではないと考えて下さい。
もっとも始末に負えないのは、ほとんどの本物宣言は悪気とかそういうものでは無くて、
本人自らの誤認によるものだと思います。

私自身は人を師として求めたら、今の所までは至れなかったと思っています。

その場合、今のラピ。さんの悟りは無かったわけです。

私もネット上で本職の僧の方や様々な方と話をしましたが、未だかって私がまともに対話を交わした人の中で
私の所に至っている人など誰もいませんでした。

適当な事を言われて、成就の印可を授けられたような人も何人もいるようです。

そして、そのでたらめな成就認定をされた人が、また、さらに他を成就認定していく、
この辺りは、「末法」の予言の通りです。

大パリニッバーナスッタンタ 2.26
>それ故に、この世で自らを島として、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、
>法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。


釈迦の遺言は、今の我々に対して末法を予言していたようなものでした。

>レベルが高すぎて、私には何を質問してよいかも分かりませんが、

ここもポイントです、分かりやすいものほど次元の低さの証であり受け入れやすく、
だからこそ外れなのですが人が飛びつきます。

ラピ。さんは実に運が良かった、ただ、それだけだと思います。


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