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TK師との会話
105
:
TK
:2013/10/14(月) 18:31:49
マタイの福音書 18章2-3
>そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
>
>言われた。「まことに、あながたがに告げます。
>あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。
誰も子供時代が無い者はいません、つまり、
成長する過程でだんだんとカルマの世界にはまってくるという事です。
「子どもたちのようにならない限り」、
ここからわかる事は科学さえ進めばこの世界全体の次元上昇は可能だと言う理論も浮上してくることになるかもしれません。
つまり、生まれた最初は良かったのに、
成長の過程で低次元になってくるという事なのですから。
まず、生まれてくる子供に罪はないと言いたい所ですが、
貧困地域に生まれる子供もいれば、裕福な資産家の家に生まれる者もいるし、
人には生まれながらにして差があります。
カルマと言うものがあるとして、そのほとんどがどのような環境に生まれるかで、
決定づけられると言っても良いです。
例えばどこに行っても虐められる者がいるて、
虐められない者はどこでも虐められないと言う現象がある点を捉えれば、
虐められる者の中に虐められるための原因があると考えるのはこれ以上無いくらとても科学的な考え方です。
人の一生の幸、不幸を左右する性格はほとんど全て生後に親から収集したものです。
つまり、どの親の元に生まれるか、
カルマと言うものがあるとしたらここでかなりの部分が決定づけられます。
エゴの無い子供の段階からどんどんとエゴを収集して、
幸福なあるいは不幸な人間になって行く。
子は親の背中を見て育つとか、三つ子の魂百までもと言う言葉がありますが、
これが一生を左右していく事になります。
私などの悟った人間であったとしても、出力形態としての行動パターンはやはり、
親から収集したようなものが基本となっています。
これは、日本人であれば日本語を出力して表現するのと同じことで、
悟った者も何らかの行動パターンで行為を出力する以上、
その基本は親から収集したパターンで編成されるという事になると思います。
ただ、収集元の親との大きな違いは、
悟った者の場合はあくまでも仮の出力形態でしかないという事なのです。
私はこれを疑似エゴイズムと呼んでいますが、
即ち行為はあくまで我々の仮の姿なので状況に応じてパターンの編成は自在と言う意味です。
ただし、
悟る前の者は親から授けられたそれそのものの狭い中で右往左往するしか手がありません。
親を呪ったところで仕方がありません、
もっと親が金持ちだったら自分はこんなに苦労しなくてよかったのにとか、
親がもっと出来た人間だったら自分はもっと良かったに違いないとか、
あんな親のようにはなりたくないと反発しながら、その、
反発を通して親と同じ特性を身に着けて行くと言うエゴの特性があります。
自分は親とは全く正反対だと思っているのは本人ばかりで、
思考のパターンはほとんど親と同じようになって行きます。
まず、実践者の取らなければならない第一の方法は、
自分の「理想」と言うものをしっかりと持ち、
それの実現に向けて精一杯生きる事です。
親と話し合いと称した議論するも良し、対立する事もあるかもしれませんが、
そうやって、「理想」を精一杯生きてみることです。
これがすなわち「ワクワク」の次元の実践段階です。
(続きです)
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