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TK師との会話
103
:
TK
:2013/10/13(日) 11:02:20
(続きです)
以前も自称道の者と言うバカな者に、あなたの表現するそれは「識別」ですとか、
間抜けさらけ出しまくりの、
ヨーガやってるとかインドで習ったとか言うエセ実践者がいたが、
その者こそ私に対しての独自の意志表現すなわち「サタンという者」に乗っ取られていた。
私と対等に議論などしたら、カルマを背負うのは相手だけだ。
イエスの説いた「従順」の実践、
この実践を私がやっていた時に時々私をある種の不安が襲った。
私は自ら進んで私の持っている個性とか独自性とかオリジナリティーとかアイデンティティとか、
そのようなものを完膚無きまで意図的に意志を振るってことごとく徹底的に私の中から潰して排除する行為をしているのだが、
このような方向性の道を歩んでいる私はどうなるのだろうか、
「このままでは私は私で無くなってしまう」。
しかし、
私には進むしかなかった、私には「サタン」を見抜く目が与えられていたからだ。
「このままでは私は私で無くなってしまう」この声がサタンという者の声だと私には見えているのでこの声を無視する、
すなわち進むしか手が無いという事になる。
「サタンという者」と一緒にいて、
それで良しとして気分が良いと言うものたちの私には気がしれないがね。
私の話を聞いて進む者は、
私と言う結果を見て実践するのだからまだ進んでいく事にためらいはないだろうが、
私の場合は文字通り自分自身を実験台そのもので率先して個性、独自性、
アイデンティティなるものを自らで片っ端から徹底的に潰していくと言う行為は私には非常に恐怖だったよ。
ただし、「私はとても大変だった」、この表現は好ましい表現なのだ、
大変な環境が作り出せれば作り出せるほど、
激流度合いが増して早く渡れる事に繋がる、
知っててやるより知らないでやる方が激流度合いが増して早く進めることになる。
このような理由から、有能な指導者と言うものがもしいるのなら、
理由を説明せずに理不尽を無理やりやらせる、
このような手段を取り入れる事だろう。
大変(激流)を避けて通りたい者など、
所詮、彼岸(神の国)へのアセンションは無理だからやめておくことです。
マタイの福音書 18章2-3
>そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
>
>言われた。「まことに、あながたがに告げます。
>あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。
ここで述べた実践がイエスの説いた子どもたちのようになるための実践にあたります。
あとネット上でエセ賢者とエセ実践者も良く目にしたが、彼らの特徴は指導する、
それを受けると言う事を利用して、
その正体はその場の雰囲気を楽しんでいる者たちだった。
そして、時々、自分たちはこのような真理を学んでいない多くの者たちと違って、
学んでいる分だけ優れているんだ的な無意識の固定観念を自分自身の中に宿している。
エセ実践者とはこう言うものだ、しかし、
真実の実践とは私が何度もここで話している通りで、
この自分は世界の中で一番劣った者で他は全て自分より優れた人たちなのだと言うポジションこそが、
アセンションの入り口なのだから全く違うのです。
エセは善も悪もないとか言っていますが、これも、本質とは全くの別物で、
至った後の賢者の状態をあの頭の悪い人にわかるようにカスタマイズしなおすと、
善の想いも、悪の想いも、善も悪も無いと言う想いも、
そもそも「想い」そのものがないと言う意味なのです。
善も悪もないと言う想いを抱けなどと、誰も説いていないのですよ。
善も悪も、善も悪も無いという想いも無いと説いているのです。
エセ賢者が「理解」を説くが、これはエセと言う証です。
最終的に「理解」は消えますが、
実践段階でも「理解」無く進む事に優れた価値があるのです。
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