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時事問題を考察&議論する

31懐疑主義者 ◆E/9nfHuGUg:2013/06/30(日) 09:29:45
(続きです)
また、支那・韓国・北朝鮮を「特亜」と言いますが、これには理由があります。

この三カ国は、日本に対しての国策反日政策を採っています。
彼らは言い訳として、日本による侵略云々と言いますが、
支那の場合は、清朝末期に欧米列強により事実上植民地化されていました。
また、英国は清朝に対して麻薬を売りつけていた。

でも、戦後の支那は欧米には日本と同等の力点での反発や国策反欧米教育はしていません。
この辺りを考えてみてください。明らかに自国をまとめる為に日本を悪役にしている。

次に韓国・朝鮮ですが、この二カ国が出来たのは、
そもそも、米ソによる分割でした。日本は敗戦国で主権を制限されていた。

日本がこの半島を支配した発端としては、
李氏朝鮮は末期になるにつれて弱体化し、亡国一歩手前でした。

当時は帝国主義の時代で、欧米式に文明化されていない地域や国は植民地にされてもどうにも出来なかった。
李氏朝鮮にもその危機が迫っていた。でも、李朝は当時の清朝に平伏し属国で有り続けようとしていたのです。
これは「事大主義」と言う概念がそうさせていました。

日本はいち早く、欧米式文明を取り入れて国づくりをしていた。明治維新などです。
日本と支那・朝鮮半島の位置関係を地図で見てください。
欧米に蚕食されていた清朝から崩壊寸前の李朝を通じて、欧米、特にロシアが南下してくる事を、
当時の日本は怖れました。

朝鮮半島は短期間の「大韓帝国」時代を経て、日本の保護国、のちには合邦されました。
良く、勘違いされますが、植民地ではなく「合邦」だったんです。
それも「一進会」と言う朝鮮人による政治団体からの要望がきっかけです。
「合邦」だと解りにくいのであれば、"日本国朝鮮地方"となったと言う方が解りやすいでしょう。

さらに、李朝末期の朝鮮半島は、地獄でした。
衛生状態も最悪、識字率は数パーセント、工業もなく、農産物の収穫率も低かった。
これは改善される必要が有りましたが、既に崩壊寸前だった李朝にはその力はなく、
放置されていたんですね。
日本の30年余りの統治時代に、これは大きく改善された。
両班によって侮蔑されて抹殺同然の扱いを受けていたハングル文字を再発見したのは日本人です。

そして、日本敗戦、大韓民国成立となりますが、李承晩と言う人物が初代大統領です。
この人物が国策反日を始めました。竹島不法占拠をやらせたのも。
彼は反日活動家とは言うものの、
日本統治時代には米国に亡命して半島内には居なかった。活動実績が無いんですね。

そこで、国策反日を始め、新生大韓民国国民の目を逸らす必要が有った。
これは効果があったので、その後の大統領に引き継がれ、現在の反日韓国があるのです。

「特亜」と言うのは"特定アジア"の事で、反日三カ国は他のアジア諸国と違うと言う意味です。
(更に続きます)


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