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悟りを本当に開いた人のスレ1
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:
おまえ乱入か
:2013/10/30(水) 12:20:02
燃焼(雑阿含8・13)
かように私は聞いた。ある時、世尊はガヤのガヤーナシーサ(象頭山)におられ、一千人の比丘たちと出会った。その時、世尊は、比丘たちに告げておおせられた。
「比丘たちよ、一切は燃えている。比丘たちよ、一切が燃えているとは、どのような事であろうか。比丘たちよ、眼は燃えている。色(物体)は燃えている。眼の認識は燃えている。眼の接触するところは燃えている。また、この眼の接触を縁として生ずるところの受(感覚)の、あるいは苦なる、あるいは苦でも楽でもないものも燃えているのである。では、それらは何によって燃えているのであるか。それは貪りの火によって燃えているのであり、瞋(じん・怒り)の火によって燃えているのであり、愚かさの火によって燃えているのであり、あるいは生・老・死により愁・悲・苦・憂・悩によって燃えているのである、と私は言う。
また耳は燃えている・・鼻は燃えている・・舌は燃えている・・身は燃えている。
意は燃えている。法(観念)は燃えている。意の認識は燃えている。意の接触するところは燃えている。またすべて子のいの接触を縁として生ずるところの受の、あるいは楽なる、あるいは苦なる、あるいは苦でも楽でもないものも燃えているのである。
では、それらは、何によって燃えているのであろうか。それは貪りの火によって燃えているのであり、瞋(じん・怒り)の火によって燃えているのであり、愚かさの火によって燃えているのであり、あるいは生・老・死により愁・悲・苦・憂・悩によって燃えているのである、と私は言うのである。
比丘たちよ、私の教えを聞いた聖なる弟子たちは、そのように観て、眼において厭いはなれ、色において厭いはなれ、眼の認識において厭い離れ、眼の接触において厭い離れ、また、すべてこの眼の接触を縁として生じるところの、受の、あるいは楽なる、あるいは苦なる、あるいは苦でも楽でもないものを厭い離れる。
また耳において厭い離れ、鼻において厭い離れ、舌において厭い離れ、身において厭い離れ、意において厭い離れ、法において厭い離れ、意の認識において厭い離れ、意の接触において厭い離れ、またすべてのこの意の接触を縁として生じるところの受の、あるいは楽なる、あるいは苦なる、あるいは苦でも楽でもないものを厭い離れる。
厭い離れるがゆえに貪り(むさぼり)を離れる。貪りを離るれば解脱する。解脱すれば解脱したとの自覚を生じて『わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作すべき事はすでに弁じた。このうえは、もはや迷いの生を繰り返す事はないであろう』と知るのである」。
世尊はそのようにおおせられた。比丘たちは、心に喜びを生じ、世尊の説きたもうところを喜びうけた。そして千人の比丘たちは、もはや執著するところ無く、心は諸々の煩悩より解脱するに至った。
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