したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

自由広場

26名無しさん:2015/09/19(土) 08:11:33
>日蓮正宗は、本門戒壇の大御本尊様と日興上人いらいの御相伝を信じる宗旨である。
御書はもちろんだが、御歴代上人の御指南を信じている。

この堀米日淳師の「大坊棟札真筆論」も信じてるのですね?

「この元朝がんちょう勤行とても……。二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、
広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります。大石寺大坊棟札に、『修理を加え、丑寅勤行怠慢なく広宣流布待つべし』とあるが、それであります」(大白蓮・昭和34年・1月号)と。

27あぼーん:あぼーん
あぼーん

28あぼーん:あぼーん
あぼーん

29あぼーん:あぼーん
あぼーん

30名無しさん:2015/09/19(土) 09:50:12
道郷騒動など大石寺の作った伝説です。
上野の重鎮、日道、日郷が相次いで亡くなり、地頭の南条家が領地替えし、南条家のお家騒動が勃発した時にドサクサに紛れ、大石寺(蓮蔵坊)強奪の
謀略をしたのは、奥州法華衆(小野寺家)らをバックにした加賀野の日行です。
元々大石寺は南条、新田(小野寺)家の旦那寺であり、日目は生まれは伊豆の新田家領地、母は南条時光の姉という南条、新田家の血が強い僧です。
日郷は日目の弟子で、日目在世から上野と保田の法華堂を行き来きしています。
日目は甥の日道(日興弟子で日郷の兄弟子)に奥州の領地(新田坊所)を譲り、奥州布教の礎にしました。日道と日郷は兄弟子関係で、日目授与本尊を譲られるなどそれほど関係は悪くなかったようです。 大石寺御影は日郷の弟子日伝が、謀略によって泣く泣く連蔵坊を日行派の日時に明け渡した時に、所蔵の重宝を小泉に移動した時に一緒に移動した御影です。大石寺が言うように盗んだわけでなく、相続した連蔵坊の重宝を移動しただけです。

尚、奥州小野寺家の祖に「小野寺弥四郎重道」という人物がいます。
加賀野(小野寺家親戚)の日行の兄は「行重」です。推測ですが何か似てませんか?
奥州は藤原時代より金の産地です。奥州には漆工芸も古来よりあります。
楠は下野(栃木、小野寺家領地)が最北です。栃木の信行寺には戒壇本尊と寺伝にある紫宸殿本尊摸刻本尊があります。
日目生誕の伊豆の領地も温暖で楠は自生しています。

31あぼーん:あぼーん
あぼーん

32あぼーん:あぼーん
あぼーん

33あぼーん:あぼーん
あぼーん

34あぼーん:あぼーん
あぼーん

35あぼーん:あぼーん
あぼーん

36あぼーん:あぼーん
あぼーん

37あぼーん:あぼーん
あぼーん

38あぼーん:あぼーん
あぼーん

39あぼーん:あぼーん
あぼーん

40あぼーん:あぼーん
あぼーん

41名無しさん:2015/09/21(月) 07:58:35
四世の日道著「御伝土代」には

さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給ふ

と書かれていますが、無名さんはこれを戒壇本尊の証だと思いますか?

「その時、日蓮は感ずる事があり、弟子ながら「日興上人」と書写した本尊に上人号を書き表し、日興の弟子日秀日弁二人にも上人号を授けた」が
正しい読み方ではないですか? 法難当時、日興は身延におらず不在でした。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板