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「まじめな話」の板

8185蒼天の實相:2019/01/02(水) 22:19:56
>>8184
〜下毛野氏〜

下毛野氏
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▼目次
概要
下毛野氏(しもつけのうじ、しもつけぬうじ[1])は、「下毛野」を氏の名とする氏族。
第10代崇神天皇皇子の豊城入彦命の後裔を称する皇別氏族で、「下毛野君(公)」のち「下毛野朝臣」姓を称した。



下毛野氏
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1.概要
大化以後に中級貴族、10世紀以後は公家の下級武官として活躍した氏族である。国史には当初より朝廷に仕えた氏族として記載されており、大化以前の動向は明らかでない[1]。名称の「下毛野」に見えるように、元々は下毛野地域(現・栃木県南西部)における豪族であったと推測されているが、記載が少なく定かでない。
名称にある「毛野」とは古代の群馬県・栃木県南西部を指す地域名称で[2]、都に近い側を「上毛野」(のち上野国(現・群馬県))、遠い側を「下毛野」(のち那須を加えて下野国(現・栃木県))としたのが基となっている。



2.出自
2.1.文献上の記載
『日本書紀』には第10代崇神天皇が皇子の豊城命(豊城入彦命/豊木入日子命)に東国統治を命じたと記載するが、その豊城命について「上毛野君・下毛野君の祖」であると付記している[4]。なお豊城入彦命がそれらの祖である旨は、『古事記』にも記されている[5]。
平安時代初期の弘仁6年(815年)『新撰姓氏録』には下毛野朝臣について「崇神天皇皇子の豊城入彦命の後」と記載されており[6]、豊城入彦命の後裔であることが公称されていた。なお『新撰姓氏録』に見られるように豊城入彦命の後裔を称する氏族は他にも多くあるが、中でも下毛野朝臣のほか上毛野朝臣、大野朝臣、池田朝臣、佐味朝臣、車持朝臣の6氏族は「東国六腹朝臣」[8]と総称され、ともに毛野地域(群馬県・栃木県南西部)出身で出自を同じくするという。
『続日本紀』には慶雲4年(707年)に下毛野石代が姓を「下毛野朝臣」から「下毛野川内朝臣」に変えたという記載があり[9]、下野国河内郡との関係が指摘されている[4]。
また疑いも多いが、『先代旧事本紀』「国造本紀」では、仁徳天皇の御世に豊城命四世孫の奈良別が初めて下毛野国造に任じられたと記されている[11]。奈良別については「六世孫の下毛君奈良」と記載する文献もあり[12]、下毛野氏一族とも推定されている。


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