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「まじめな話」の板
8184
:
蒼天の實相
:2019/01/02(水) 12:53:10
〜豊城入彦命〜
豊城入彦命
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1.系譜
第10代崇神天皇皇子。母は荒河戸畔の娘の遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)。垂仁天皇(第11代)の異母兄で、豊鍬入姫命の同母兄である。
2.記録
『日本書紀』[3]によると、崇神天皇48年に天皇は豊城命(豊城入彦命)と活目尊(いくめのみこと、後の垂仁天皇)に勅して、共に慈愛のある子でありどちらを後継者とするか決めがたいため、それぞれの見る夢で判断すると伝えた。豊城命は「御諸山(みもろやま:三輪山)に登り、東に向かって槍(ほこ)や刀を振り回す夢を見た」と答え、活目尊は「御諸山に登り、四方に縄を張って雀を追い払う夢を見た」と答えた。その結果、弟の活目尊は領土の確保と農耕の振興を考えているとして位を継がせることとし、豊城命は東に向かい武器を振るったので東国を治めさせるために派遣されたという。
3.墓
墓の所在は不明。
群馬県前橋市の総社二子山古墳では、1870年(明治3年)まで豊城入彦命の墓として墓丁が置かれたという。しかし調査により古墳は6世紀末の築造とされ誤りと判断された。また、同じく前橋市に所在する大室古墳群にあてる説もある。茨城県石岡市には市内の丸山古墳が命の墓であるとの伝承が残っている。
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