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「まじめな話」の板
397
:
さくら
:2013/02/03(日) 07:33:48
>>394
初心者様
「差異」ということについてですが、
人間のあらゆる感覚的は、「差異」をかんじることにより、その存在を認めることができるということを、学んだことがありました。
たとえば、音楽の分野でいうと、音符のミの音は、なぜ、ミとして感じられるかといえば、それは、レより高い音であり、ファより低い音である、という…その「差異」でミである「意味」が認識できるということです。
極端にいえば、ミは、単独でミでいられない、ということが言えます。
触覚に関してもそうで、強く刺激を感じられるのは、弱い刺激を知っているからこそである、と言えます。
人間は、この世の現象を「差異」として、感覚しているということだそうですね。
またこの世が、「ドラマ」として感動を持つことができるのは、すべて、この「差異」が存在するからということもありますね、
春の暖かさのよろこびは、冬の寒さを知っているから、より深く感じられ、再会のよろこびも、別れていたからこそ、より深く感動できる、といったような…。
言葉もおなじでしょう。
単語そのものは、前後の「差異」によって、はじめて「意味」をもちます。
音符と同じように、それ自体、意味を持つとはいえない、ということになるのではないかとおもいます。
(たとえば、「真の生長の家」と云うとき、そこには、「偽の生長の家」の差別化が潜在しています。
つまり、自分の認識に「真の生長の家」を存在させるには、「偽の生長の家」を必要とさせる、という、そういうことになるのだとおもいます。
…雅春先生が、説かれた教えの中心には、このような意味はないとかんじてますので、…違和感があります。
初心者様が言ったように、ロゴスで教えを分割する…というようなことにもかんじます。)
言葉は、「意味」ではなく、差異である、とは、こういうことではないかとおもいますが…。
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