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「まじめな話」の板
394
:
初心者
:2013/02/02(土) 22:54:54
さくらちゃんへ
言葉は意味か差異か、これが問題です。わたしは差異派です。大きいと小さい、
新しいと古い、近いと遠い、善と悪。すべてが、意味ではなく差異をあらわしていま
す。もちろん「ある」と「ない」も差異です。差異をいくら積み重ねっていっても、
そこにあるのは差異だけです。人はしかし、この差異をもって「絶対的真理」といい
ます。雅春先生は、この問題を深く考察されたのだとおもいます。
>初心者様がいう「ラージX」というのは、命そのものと仰いましたが…
それを知ったうえで、ことばの世界で演じているのが、神の子の自覚…なのでしょうか…
「命そのもの」と聞くと、ついついわかったような気になりますが、これはどういう
ことをいっているのでしょう。簡単にいえば「なにも考えない」ということですね。
動物はなにも考えないから、「ラージX」でいられるということですね。
この「ラージX」と神の子の自覚を結びつけるというのは、今のところ困難では
ないかと考えます。神の子の自覚とはなにも考えないことだ、といった考え方は、
おそらく生長の家ではなされていないはずです。
言葉をもった人間が、ふつうに生きていながらなにも考えないでいられるという
のは至難のわざです。悟りの境地といってよいのかもしれません。
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