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「まじめな話」の板

173SAKURA:2012/10/15(月) 21:55:41
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…・・・ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>172投稿の続きです・…。

■第1章 『ロックの女王MIKAの話し』…

――――― 加藤さんと出会ったころのこと ――――――

 加藤さんとはじめて出会ったのは、高校2年生、17歳の秋のことだった。当時私は、京都
の平安女学院で、自由に満ち満ちた青春をぞんぶんに楽しんでいた。
 折しもフォ−クソングがブ−ムになろうというころ。中学生のころからポップスやジャズに
のめり込んでいた私は、高校にはいると、さっそく「くだけた」仲間を誘ってフォ−クソング
同好を作ったのだった。そして、同級生のトンコちゃんと『ミカ&トンコ』というデュオを結成。
とりあえず、ギタ−を弾けるようにならなきゃ話にならない。というわけで、ギタ−指導を頼ん
だ、というか有無をいわさず引き受けさせた相手が加藤さんだったのだ。
 
 当時、加藤さんは竜谷大学の学生で、現在は精神科医として活躍なさっている北山修さんと、
『フォーク・クルセダ−ズ』を結成していて、京都の学生の間ではちょっとした人気者になっ
ていた。彼らのコンサ−トの本番前に、いきなり楽屋を訪ね、「私たちにギタ−を教えてくださ
い」といったのだから、我ながらたいした度胸である。

 はじめてのレッスンは、北山修さんのお宅のリビングル−ム。加藤さんは熱心に教えてくれた
のだが、生徒のできがいまひとつだったのだろう。じきに、「この何年、あなたたちにギタ−を
教えてもコンサートには間に合いそうにないから、とりあえず歌の練習をしましょう」といわれ
てしまった。なんのことはない、加藤さんがミカ&トンコのバックでギタ−を弾いてくれること
になったのだ。

 そのころ病気がちだった私の父は、月に三週間は療養のため和歌山の別荘ですごしていた。
それを知った加藤さんは「男っ気がないのは、不用心」なんて理屈をつけて、わが家にひんぱん
遊びにくるようになった。加藤さんは当時から料理が得意で、私の家でも台所に立ってはせっせ
と料理を作ってくれたものである。私がボ−イフレンドとデ−トをして帰ってくると、母と妹と
加藤さんがごはんを食べているなんてこともあった。

 そんなことが半年も続いたある日、妹が私にこう言ったものだ。「お姉さんッ、なぜ加藤さんが
ウチにくるかわかってる?」「さあ、彼は料理がしたいんじゃない」と私はのんきに答えた。妹は、
もう、というような顔をして、「あのね、加藤さんはお姉さんのことが好きなのよ」と言ったのだ
けれど、これにはわが身のうかつさをを思い知ったのであった。そして、私のなかで加藤さんが
特別な人に変わっていったのは言うまでもない。

次は?【結婚、そしてサディスティック・ミカ・バンドの誕生……】を投稿なのです。

                           (つづく)
PS:トキ様へ
「ギタ−を教えて下さい…」本当に度胸?若いからできると言われますとそれまででしょうが??
それにしましても、「ギタ−を弾く事…」は、やはり??才能??指さばき??
ネェ〜〜♫〜〜「トキ様」…【関西の言葉…】でしょうかしら〜〜〜ン??
「ミカさん」は【京都出身…】です。そして「総裁の奥様…純子先生」も【三重県…】ですョネ!
…関西の女性は?「〜〜〜だ!〜〜〜なったのだ!」このような表現を…されるのですネ!
「純子先生のブログ」でもお見受けしますが〜〜〜【関西用語…】でしょうか???
結構!男勝りの表現言葉なのです〜〜〜ョネ!…でも「ミカさん」は…かわいいです。…ネ…!

再合掌


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