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生長の家傍流掲示板/別板1
55
:
さくら【島の九の一】
:2012/07/27(金) 21:56:13
>>54
トキ様
>私は社会とか国家とかも大事ですが、個人も大事だと思っている人間です。そういう人間から見たら、生長の家の信仰で
悩んでいる人が救われた。それだけで生長の家は存在する甲斐があると思っています。現実に、不良少年が更正したり、経営不振の会社が立ち直ったり、病気の人が立ち上がったとしたら、それはその人にはとても大事だしそれを小さな事だとは思えないのです。
わたしもトキ様の想いに共感いたします。
自身の経験からもそうですし、生長の家や、ほかの信仰的なお世話活動されるかたのこれは、実感だとおもいます。
生長の家に救われ、自分の仕事でも人の関わりの中で、些細なことでも他を生かすことが出来れば、それは目には見えなくても社会に立派に影響を与えることと言えるとおもっています。
宗教活動の本質はそこにあると個人的にはかんじられます。
「正しい考えを広めて世の中や社会を変えてやろう」という啓蒙運動があってもいいですが、
信仰の運動は、それ以前に、困っている隣の人に手を貸そう、それができたら、もう一人…というような地道な活動ということなのではないか…という、そんなことです。
国柱会のことは、よく知りませんでした。
(宮沢賢治の作品から感じる宗教的感覚は、改めて素晴らしいですね。)
創価学会との対比で、最終的に、人間のなかに残っていくものはなにか、考えさせられますね。
だから、一方で、生長の家が、「人類光明化」「日本国実相顕現」と叫ぶという運動が、憲法改正など訴えるほか…いまはどのような実現性があるのか、どのような啓蒙力を持つのか、正直、疑問にかんじないところがないこともありません、。
憲法改正なども、正しい国家観倫理観に基づいて主張することは、充分重要ではありますが、
それを宗教活動として行うことが、いまの時代に相応しいか、なにか違和感と、疑問があります。
宗教的愛国心の表現は、政治運動や憲法改正、啓蒙運動ではないとわたしは思っています。
このことは、雅春先生の思想への否定ではなく、時代による愛国心の表現は、形を変えて受け継がれるものであるとおもうので、生長の家ももっと柔軟な見方をしてほしいとかんじることがあります。
(ここから、生長の家の信仰を疑われるのでしょうか?)
…この点、もし認識が間違えていたら、トキ様、ご指導下さるようお願いいたします。
拝
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