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生長の家傍流掲示板/別板1
3395
:
傍観職員
:2018/12/19(水) 01:15:07
私見ですが (8444)
日時:2018年12月19日 (水) 00時11分
名前:トキ
聖典の裁判については、双方ともに言い分があるし、その場にいなかった私は明確なことは言えません。
ただ、人間の集まりですから、やはり感情的な諍いが生まれるのは仕方がないことだとは思います。が、それで内紛にまで至ったのはまずいです。
例えば、青年会の頃などは、部内で人間関係の争いが生じたり、あるいは指導者への反発が激しくなることはありました。しかし、それで組織や運動が分裂するような事が起きないようにするだけの分別はみんな持っていました。徹夜で話し合って、対立する両者を和解させた事もありました。他の教区の青年会などでは、それでも解決がつかなくて、本部から人が来て仲裁をしたという話は聞いたことがありましたが、それはごく稀なケースでした。
青年会ですから、20代、、30代の青二才ですら「部内で争うことは、恥ずかしいことだ」という意識を持っていました。それが、今回の聖典の裁判で言うと、とても偉い教団の指導者たちが多額の浄財を使って、身内の人間を相手に裁判をすると言う醜態を晒しているのですから、唖然としてしまいます。
ある程度の年齢になると、逆に我慢ができなくなり、突然、切れてしまうみたいです。が、現場の人間は、白鳩会でも相愛会でも、そこは少々のことは流して仲良くしようと努力しているのですから、年齢のせいばかりにもできないみたいです。
教義については、はるかにご存知の方々ばかりだと思いますが、ここは少し冷静になって欲しいと願いますね。
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