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「脱力ネタ」板

812初心者:2014/03/25(火) 16:40:16
訊け様

人間という生き物は、言表に出来事を一致させようとしますよね。「田舎にすみたい」とおもった人は、「田舎に住んでいる」という出来事を実現させようとしますよね。

でもですね、わたしのいう「言表と出来事の一致」はこういうことではないのです。「言表すればそれが事実となってしまう」。こういうことをいっているのです。

「人間知」という言表はすでに「ある事実」をあらわしています。ある事実とは「自分が相手より上である」という事実です。

「田舎に住む」というように、具体的になにかをなす必要はありません。「人間知」と言表するだけで、「自分のほうが相手より上」という事実を簡単につくりだせるのです。「人間知」と言表する人たちにとって、「自分が相手より上である」というのは、すでに確実な事実なのです。

わたしが、「言表と出来事の一致」を問題にする理由がわかりますか。言表するだけで事実をつくりだしてしまう人たちの存在を問題にしているのです。こうすることで自我を拡大させつづけている人たちの存在を問題にしているのです。

そうした人たちの存在が、言表と出来事の一致を真理とみなすこととどう関係するのか。訊けさんはおそらくこうした疑問をもたれるでしょう。

すでに説明したように、生長の家の真理はギリシャの時代の真理とは大きく異なったものとなっています。世界のなんたるかを言い当てるのではなく、言表がそのまま世界の評価となってしまう真理なのです。

「物質はない」とする言表と、物質があるかのようにみえている現実と、はたしてどちらが優先されるのでしょう。いうまでもなく、優先されるのは言表です。世界が言表を決めるのではなく、言表が世界を決めるのです。

よいですか。「言表が世界を決める」。これが生長の家の真理の考え方なのです。自我を拡大させている人たちは、言表によって世界を決めているのです。


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