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「脱力ネタ」板

802初心者:2014/03/25(火) 12:03:16
訊け様

>>746の定義通りに行けば、雅春先生は「人間中心主義」なのでしょう。でもこれ、あくまでも、「初心者さまの基準に拠れば」ってな、話になるよね。
 で、雅春先生がそれに該当するならば、世の中の哲学のほとんどは、その、「人間中心主義と云える」のでは?なぜと申してほとんどは、まあ、「真理を言い当てようとしている」わけでしょ?(「言い当てる」の意味を解さないままに、投稿しているケド)「言葉で真理を言い当てたい」とも欲している、そうは言えるよね(雅春先生以外の哲学も)。

ギリシャの時代にも「世界は水である」や「世界はアトムでできている」というようなことは言ってました。現代科学にもこうした傾向はありそうです。科学者たちも世界がなんでできているかを知りたがっているはずですから。

生長の家ではどのようにいわれているでしょう。「物質はない」、「現象は心の影である」、「実相は完全である」と、このようにいわれています。

ギリシャの時代とのちがいがわかりますか?ギリシャの人々は世界のなんたるかを言い当てようとしていた、ということがわかります。生長の家はちがいますね。生長の家は、世界のなんたるかを言い当てようとしているのではなく、世界を評価しようとしているのです。

生長の家の「言表」とは、世界を評価するための言表です。「物質はない」と世界を評価して、世界がこの評価どおりになっているとみなすのが、生長の家の考え方なのです。

わたしのいう「言表と出来事との一致」とは、自分が世界を評価して、世界は自分が評価したとおりになっているとみなすことをいっているのです。ギリシャの時代の「言表と出来事の一致」とのあきらかなちがいがここにあります。

「世界は自分が評価したとおりになっている」。このように考えるのが人間中心主義です。


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