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「脱力ネタ」板
791
:
初心者
:2014/03/24(月) 22:38:04
訊け様
あやまって「未開」と呼ばれる人々のなかには、なにをするにも大地や聖霊におうかがいをたてる人々がいるといいます。たとえば聖霊に「総裁は虚説か」とうかがいをたて、「虚説である」との答えがあれば、総裁は人々によって虚説とみなされ、逆の答えがあれば、虚説とはみなされないわけです。
こうした人々は、自分の言表と客観的出来事とを一致させようとはしていないので、人間中心主義におちいることはありません。文明人のあいだでは、言表と出来事の一致は、誰も問題にしないほどに、いまやあたりまえのことと考えられています。
誰におうかがいをたてるでもなく、「地下資源は人間のものだ」と言表しさえすれば、すべての地下資源は人間のものとなるのです。「牛は牧場で飼って食用にすべき生き物だ」と言表すれば、それが客観的真実となって、牛は食用の家畜にされてしまいます。
文明人にとって、自分の言表が客観的事実となるのは、もはやあたりまえのことなのです。言表すれば、それが客観的事実となるのです。ギリシャの時代はどうであったのでしょう。いまでもうかがいをたてている人々はいるわけですから、ギリシャの人々も、必要とあらば大地におうかがいをたてていたのかもしれません。
イデア論の登場によって事情は一変したはずです。言表と出来事とを一致させることが人々の課題になったからです。おうかがいをたててなにかを決める時代ではなくなったのです。
「あのものにはイデアがあらわれている」と言表すれば、あのものにはイデアがあらわれていることになるのです。「あのものにはイデアがあらわれていない」と言表すれば、あのものにはイデアがあらわれていないことになるのです。イデア論の登場によって、人間が「あのもの」の価値を決められる時代になったというわけです。人間中心主義がこうして開始されました。
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