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「脱力ネタ」板

768初心者:2014/03/24(月) 13:46:56
さくらちゃんへ

>②真理を語れないとは、なにを持って真理というかわかりませんが、
生長の家の教えの基本は、ほぼ正確には「解説」されているのですよ。

たとえばですね、雅春先生のご文章を貼りつけるのは上手でも、真理を語れない人っていますよね。ですから、ほぼ正確に語られたとしても、それは語っておられるのではなく、さくらちゃんが書いておられますように、「解説」しておられるだけなのではないでしょうか。

総裁はおそらく、「真理はこんなに素晴らしいんだ!」というようには真理を語っておられませんね。「生長の家ではこのようにいわれています」というように、真理を淡々と解説しておられるのではないかと想像しております。

「総裁が宗教家として適性を欠いているとみなされるのは」の投稿でわたしがいいたかったのは、「偶然かもしれないが、総裁がなさっておられることに矛盾はない」ということなのです。どう矛盾がないかはすでに書いたことですので、ここでは書きませんけども、もしも偶然でなく意図してやっておられるとするなら、たいした深慮遠謀家というしかありません。

いずれにしても、騒いでいる連中というのは、深いところをみることができずに、浅いところだけをみている連中であるのは間違いありません。

「真理とはなにか」といえば、総裁がいっておられますように、「病気がこうして治った」というのは真理ではないということですね。わたしはかねてより、「真理とは仕組みである」といっておりますが、仕組みを探究していくうちに、「言表と出来事の一致」を真理とみなす従来の真理観とは根本的に異なった「大地の真理」に出会ったといったところでしょうか。

>環境問題に取り組むことが、総裁の考える、救済だったんです。
でも、わたしはこれは、何度もいうように、組織の方針にしてエコロジー運動にして、
宗教的なものを、否定していることに、問題があると思っています。

宗教的なものというより、古代ギリシャ風の環境運動というのはどうでしょう。古代のギリシャでは、大地から真理をあらわしだすのに霊的秘儀をもちいていたのかもしれませんが、現代では大地から真理をあらわしだす方法が哲学的に確立されておりますので、宗教色を否定しつつも宗教的味わいをかもしだすのは可能かと存じます。

たとえば、自然の言葉というのは、人間が言葉をそれに似せた途端に逃げていくものですね。それで追いかけていって、ふたたび言葉をそれに似せると、また逃げて行くことのくり返しとなりますね。こうした仕組みを古代ギリシャ風に「ポイエーシス」と呼ぶことができそうですから、こうした用語をふんだんにおりまぜた、古代ギリシャ風の「大地の真理」を、総裁にはぜひとも実現していただきたいと考えてます。


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