したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「脱力ネタ」板

757さくら:2014/03/24(月) 09:50:58
…すみません、いきなり、話の途中で。
わかってます。

虚説を、排除は、
わたしにとりましては、
信仰の、本質的な、部分なんです。
人間的に、どう誤解されても、なんにしても、
どうしても、「信仰」において、譲れない、一点があり…。

…もう、話はそれるかもしれませんが、(女ってこれだから、…って言わないで、、汗)
実は、きのう、宇治の友人から久しぶりに電話があり、
榎本一子先生から、榎本恵吾先生がわたしを覚えていて下さっていた話を聞いて、おどろきました。
…晩年の、小さな出会いさえ心をとめて頂いた深いご愛念に、今になって気づき、思わず涙が出ました、。


久しぶりに、先生の「葩(はなびら)さんさん」を読んで、さらに、泣きました。

「無神」も、思い出しました、
一部、謹写させて下さい。


『もしも、神というものがあって、その神に向かって誰かが「神は無い」と言ったとすれば、
神は、「その通りである。私は無いのである。」と言われるであろう。
 そして逆に、その人に対して、「あなたによって私は生かされているのであります」といって礼拝されるのではなかろうか。

 神ご自身が『私が全宇宙の生みの親である。〇年〇月〇日。』などというものを、どこかに建てておられるとは、どうしても思えない。もしも、そういうものがあれば、そんなものを、自ら建てられるようなものを神と呼ぶ訳には行かない。

 神は全宇宙を創造し給うていながらその姿を消しておられるのであります。

 神は、人間を礼拝し給うているのであります。

春には花を咲かせ、野山を緑でかざり 雨を降らせ、陽を明るく
 風を渡らせて、何とかして人間を喜ばせてやろうとしておられるのである。

 生きた花々草々をもって、神は我らを供養し給うているのであります。
 しかし、依然として神はご自分を消しておられるのであります。

 どこまで消しておられるか。

 それは、神がお生みになった人間に「神は無い」といえるようにしておられるまでにであります。
 「神は無い」という声も、神のいのちによって人間はそう言っているのであります。そこまで神ご自身で、無神になっておられるのであります。

 「神など無い」と言えば言うほど、そこに、神の無神の聖なる輝きが、証明されているのではないでしょうか。

 日本神道の幽の幽なる神とは、ある意味でこのことを言っているのかもしれません。
宗教も、真の宗教はこの神の無神なる輝きをうつしたものであるはづである。
宗教が「この教えがお前たちを救ってやるのである。この教えにふれなければ、あなたは救われない。」というようなものであれば、即、それは神ではなく、愛ではなく、聖なるものであるという訳にはいかないのである。

 人前に立って「救ってやった。救ってやった。」というところには、聖なるものはないのである。

 説法も、お経も、そこにもし「この説法を聴かなければ救われない」とか、「この本を、このお経を読まなければ救われませんよ」というのを、少しでも残しておれば、それは無我ではなく、愛でもないのである。
それは無神の聖なるいのちの流れとは、およそかけはなれたるものでありましょう。』


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板