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「脱力ネタ」板
739
:
「訊け」管理人
:2014/03/22(土) 19:26:01
>>初心者さま
>>>このことには、じつはふたつの問題があります。ひとつはこれが人間中心主義であるということです。人間には現象を支配しコントロールする力がある。こういうことをいっているわけですから、これはあきらかに人間中心主義の考え方です。<<<
いやなぜ「問題」なのか・・・・・それが、わかりません。この種の中心主義ならば、むしろ、喜ばしいのではナイでしょうか。いや、この種の考えがなければ人間は、「状況に流される」であるとか「ニヒロズムに陥る」ということに、なりはしないですか。また、ここで雅春先生が云っておられる概念は、〝人間中心主義〟ではなく実は、「神」です。私はそのように読みました。
人間(肉体の)には力はナイのだ、と。実相一元を主張されておられるご文章ですからこれを、「人間中心主義として」解釈されるのは、少々ムリはないでしょうか。また、以下の点ですが、
>>>引用文で雅春先生がなにをいっておられるか、わかりますか。雅春先生は「主観と客観を一致させよ」といっておられるのですよ。わかりますか?実相を主観、現象を客観と考えればわかりやすいでしょう。
主観と客観は一致しない。ソシュールによってこのことが証明されています。一致は不可能なのです。この不可能を雅春先生は要請しておられるのです。雅春先生の教えは、ソシュールによって完全否定されています。<<<
これは、貴殿の解釈が間違いだと思います。雅春先生はそのような主張は、されておられません。先生のご主張は「主観と客観を一致させよ」では、ありませんよね。よく、読まれてみてください。先生のご主張はそのようなものではなく、「主観も客観もナイ、ただ、実相あるのみ!」には、なりませんか。たしかに方便的に、「現象に投影していくのだ」「征服していくのだ」との説明文は見えますけども、これはあくまでも、対機説法なのであって、本論ではナイでしょう。(※)あくまでも先生のご主張は、
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主として「現象無し」とスカッと截(た)ち断り、実相独在を明快に斬然(ざんぜん)と主張しているからであるのである。「現象は現象としては在るのである」といって現象界を本体界に対立せしめたり、「本体界の自叙自展が現象界であって、本体界と現象界とは一如である、そして、現象界は本体界のうちに包摂せられるものである」というような在来の見方を脱しえないような宗教では、とうていそれは現実人生を支配することができないのである。生長の家の思想が、かく素晴しい現実人生の支配力を有しているのは、主として「現象無し」とスカッと截(た)ち断り、実相独在を明快に斬然(ざんぜん)と主張しているからであるのである。
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の部分だと、思います。これが
>>727
掲載の、聖典の内容だと思いますけども、いかがでしょう。
ご返答をお待ちします。
拜
<註>
※ これはあくまでも、対機説法なのであって、本論ではナイでしょう。
「主観と客観」ですが、雅春先生は「仮にあるかのような前提で」語ってくださるワケです。そしてそんな面の配慮がおありですから、私のような凡人にも伝わりやすいのだと思います。ですけれども、この、対機説法を捉えてそして、「谷口雅春は、主観と客観を認めている!」とか云われる方あらば、それは、間違いです。クドイですがそれは、単に(私のような凡人向けの)対機説法であり、方便だからです。本筋の主張で雅春先生は、未だかつて一度たりとも「実相も現象も、ある」とはご主張あそばされては、おられません。
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