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「脱力ネタ」板

721初心者:2014/03/22(土) 09:47:28
訊け様

雅春先生の教えは「天地の万物を神として礼拝する教えである」とされるのですね。もしもこれが事実であれば、雅春先生の教えはイデア論ではなくプロティノスの思想であるといってよいでしょう。

物質界とは自然界でもありますが、ここには宇宙の叡智が埋め込まれていますね。自然界を一者の流出ととらえる。これがプロティノスの思想です。

自然界を一者の流出ととらえるなら、世界を現象世界と実相世界に分ける必要などどこにもないはずです。ふたつに分けずとも唯神実相論は成り立ちますね。それを雅春先生はなぜかふたつの世界に分けられたのです。なぜ分ける必要があったのか、これがわかりませんね。

天地の万物を神として礼拝する教えでありながら、なぜ雅春先生は天地の万物を、実相世界から切り離されたのでしょう。切り離さずとも、それを「一者の流出」とみなせばよいではないですか。一者の流出として礼拝すればよいではないですか。なぜ「現象はない」と否定する必要があったのでしょう。「天地の万物は一者の流出であるから神として礼拝する」。これでよいではないですか。

わたしのいう人間中心主義とは、「悪としてみえている天地の万物は自分の心の影であるから、自分はこの心の影である天地の万物に真理の光を照射してほんらいのあるべき姿としてあらわしだすのだ」というように、世界を自分の意識で処理しようとすることです。

「実相をみる」といいながら、生長の家の人々は、世界を自分の意識のなかで処理しようとしているのではないですか。もしそうであれば、これを人間中心主義といいます。

世界を自分の心の影とみなすこと。これが人間中心主義です。世界を自分中心に組み立てること。これが人間中心主義です。


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