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「脱力ネタ」板

718「訊け」管理人:2014/03/22(土) 08:28:43

>>711初心者さま
>>さくら

 いやーさすがです。(一連のご投稿を拝読し)>>711の様な疑問が、ちょうど浮上していたんです。さて、以下のご投稿ですが、

>>>(>>711提示の仮前提に関し)筋書きとして不自然な点があるかどうか、筋書きじたいが稚拙であるかどうか、筋書きに説得力があるかどうか、筋書きにこれを述べるだけの意味や価値があるかどうか、こういったことに関する問題点があるとすれば、それはどのような問題点であるとお考えでしょうか。<<<

 この面に関して、語ってみようと思います。そして返信のテーマですが、「雅春先生は『人間中心主義』ではナイ」というものになりましょうか ――

 ・・・さて総裁ですが、雅春先生の御教えを「人間中心主義」と解釈されておられたとするならば、「根拠はナイことになろう」と考えます。雅春先生の御教えが環境破壊をもたらすとは、到底考えられません。理由はなにか・・・・それは、こうです。

 雅春先生の教えは「天地万物をすべて神として礼拝する」と言うものです。(※1)

 ここではザックリと書きますが、雅春先生の教えはそうです。「天地万物をすべて神として礼拝する」のが、雅春先生ですので総裁が「ホンキで環境保護をお考えだった」とするならば、「聖典をもっと読め運動」ですよ(笑)やるべきことは。

 雅春先生を敬遠するよりはむしろ、「聖典をもっと読め!運動を展開すべきだった」と、思います。(※2)ですんで御貴殿からのご提案ですが、以下のご文章は、少々ムリがあるような気が致します。議論を行っていく上での、ムリと云う意味ですが、

>>>世界を現象と実相とに分ける生長の家の教えは必然的に人間中心主義へとむすびつくと、みずからの体験や理論的な考察からこのように判断なされたとします。そしてまた人間中心主義は環境破壊を引き起こす直接的な原因になったともお考えになられたとします。こうしたことから総裁は人間中心主義を地球からほうむりさろうと決断なされて、雅春先生の教えを封印なさるとともに、人間中心主義にたいする批判や対抗などの意味を込めて、教団の舵を環境運動の方向へきられたとします。<<<






<註>

※1 雅春先生の教えは「天地万物をすべて、神として礼拝する」と言うもの

 ・・・まあ、そう礼拝した結果としての「治病効果はあり」ます。そして、その治病効果の点を指して「人間中心主義」と言う方が、おられるのかもしれませんけども根本は上記です。雅春先生の教えは治病の面からみれば「人間中心主義」に見えるかもしれませんが、根本は違います。

※2 雅春先生を敬遠するよりはむしろ、「聖典をもっと読め!運動を展開すべきだった」と、思います。

 『生命の實相』には直接的には環境問題、扱われてはおりません。ただし天地万物一切を神として礼拝していけば「自然と整ってくる」という思想は、40巻を通じていろいろなところで語られております。『生命の實相』を読めば環境破壊など、起こりようがナイと思います。同著では「唯物論の闘争が悪因」とされておりまして、「神の深遠なるご配慮を観じれば、どこにも闘争の必要はナイじゃないか」という思想が繰り返し出て参ります(あくまでも趣旨に於いて)これが、谷口雅春先生の御教えです。


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