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「脱力ネタ」板

709初心者:2014/03/21(金) 20:52:41
いくら「自然信仰への回帰」といっても、いまさらアニミズムの世界にもどるわけにはいかない。総裁はどうなさるおつもりなのでしょう。

ドイツ観念論にシェリングという哲学者がいましたね。そのシェリングは「自然はいま自分にたいして沈黙したままでいるけれども、自分の魂が自然の言葉を代弁できるようになれば、自然はみずからを開示し、隠された秘密を語りかけてくるだろう」とこのように考えていた、というよりも、生き生きとこのことを実感していたという。

「自然の言葉を代弁する」。ここに注目しましょう。西行がやろうとしていたのがこれだからです。西行は和歌を詠むことで自然の言葉を代弁しようとしていたのですね。

自然の言葉ってなんだ?自然に言葉があるといっても、生長の家の人にはたぶんわからない。わからないからこそ、世界をふたつに分けるのがよいことだと思い込んでいる。

「自然には言葉がある」というのはわかりきったことでしょう。人間は自然の一部。その人間に言葉あるってことは自然にも言葉があるってこと。ただし自然の言葉は人間が使う言葉よりもはるかに複雑で、そこで使われている語彙や文法は人間の知るところではない。

こうした自然の言葉を西行は、人間が理解できる言葉に変えようとした。そのためには姿を似せるよりほかはなかったってことだ。そしてシェリングもおなじことをいっている。わかる人にはわかるんだよなあ。

自然には言葉がある。自然はなにかを語っている。自然はなにを語ろうとしているのか。それを言葉で言い当てるのが「真理を言い当てる」ってことなのです。道元の「万法すすみて」とはこのことを言っている。これ以外に真理を言い当てる方法はない。霊的直観はたぶん自然の言葉には効かない。霊は霊のことしかわからないから。しかも、それができれば誰も苦労はしない。歌を詠む必要はどこにもない。

総裁はたぶんこのことを知らない。たとえ知っていたとしても、言い当てるための方法を知らない(あたしは少しばかり知ってるよ)。自然信仰といっても中途半端なものになりそうだ。

でもね、総裁は世界をふたつに分けようとはしていないみたいだから、いつか自然の言葉を聞けるようになるかもしれない。世界をふたつに分けた人って、自分が世界でいちばん偉いと思っているだろ。そんな人間に自然はけっして語りかけたりはしないけど、総裁にはそのうち語りかけてくるかもしれない。


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