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夢日記と思想と独り言 その1

81名無しさん:2013/11/12(火) 00:12:42
ちゅうもんしたしながとどかないでいるが、とどかないばあいどうしようかともおもうのである。

せんげつまえに、おふろへいったが、あのきんがくなら、やめたほうがいい、とまたふえていったしなじなである。

いまはうぇぶですます、ようをたすには、じゅうぶんであるが、やはりまあいせいにたいするもうねんは、はんばいかりをともない、しんちゅうにとどまるのである。

せんじつのおりがみくばりのさいに、たねをまくこういは、いちとのしゃせいにおける、さんまんのせいしたちが、らんしひとつをもとめているさま、つまりたねまきが、たねづけをしているような、さっかくにいたったのである。

いっぽう、おなじたねまきでも、ほうじんのほうは、じぶんししんいたいたしくおもえる。それは、たぶん、しゅうきょうということばのがいねんのちがいであろうが、わたしのかつどうは、しゅうきょうてきではあるが、ほうじんではなく、とくにひとときそっているわけではない。

にちれんのよげんが、そのしんぴょうせいはさだかではないが、わたしにはえまりにむかないかつどうであることが、けつろんとしてでた。

このいまのじょうたいのまま、ひとにすすめることは、はばかれるのであり、じぶんはじぶんのみちを、ひたすらもとめるが、よいであろう。

せんにんよばわりされているきもするが、わたしははなれたところにすんでいて、むかうかねがないのも、これはおりがみだけに、しゅうちゅうするべきと、うけとめよう。

また、ひとりごとはするであろう、がくちよせとしてなヵながはなすひつようは、なくなったのである。

いまは、にゅういんをしているようなきもちで、あくまでとうしんだいのじぶんじしんをみつめるさぎょうをだいいちとする。

こんげつは、つきにいちどのおまいり、これもかぞくとのつきあいが、たぶんだが、それをすませて、りゆうもとくていできず、いかりしんとうであり、これはあいてのせいというより、じぶんから、じぶんがにげてしまったことの、けっかであろうとおもわれる。

せんのみち、とひとつのみち。

ひとだすけ、とかこっかのためとか、きゅうさいのためでなく、ただわたしのために、こうどうするひつようがある。

じぶんをおさめて、はじめて、ひさしくちかい、くにをおさめることになるので、あのかずしかあたまにない、ほうじんのかつどうに、さんかしていると、わたしのばあい、おのずとふそうおう、ひとびととじぶんをくらべ、うちひしがれるおもいである。

わたしのみたところ、たしかにしゅうきょうは、ひそかにひそんでいる。おおぜいのひとは、それをけんおすらする。

でもそのしらけたひとが、たいはんなのである。にちれんのひと、でんきにはそれなりのみりょくはあるが、さまさま、というのは、けっきょくかだいひょうかであり、たしかにしゅうきょうほうじんとしては、せいれんではあるが、しょせんほうじんにすぎない。


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