He deathed her. 彼は彼女を殺した。
→目的語があるので他動詞。
He deathed. 彼は死んだ。
→目的語がないので自動詞。
He deathed one. 彼は殺した。
→誰を殺したのかはわからないが形式目的語 one があるので他動詞。
He deathed none. 彼は死んだ。 = He deathed.
→自動詞を表す虚辞の形式目的語 none がある。
He deathed no one. 彼は誰も殺さなかった。
→目的語があるので他動詞。その目的語が否定代名詞なだけ。虚辞の none と混同せぬよう注意。
He deathed oneself. 彼は自殺した。
→再帰代名詞を目的語とした他動詞。
次に効率だが、学習効率は非常に良く、運用効率も控え目に評価しても悪くないと思う。覚えることとしてはシニフィエの量を減らすわけにはいかないがシニフィアンが減るので楽になるはず。運用は英語の open や break の例があるので現実的に許容できるはず。自動詞文で SVO の形になるのは虚辞を用いた場合だけで、Patitent or Object Verb Cause or Agent という深層構造はあり得ないので、解釈で特別労力を要することもない。
まず形態論に限って述べると、再帰表現の学習効率は最高だと思う。これは疑いない。運用では、発語は再帰代名詞が短ければ無害、長ければ煩雑ということになろう。フランス語の場合はエリジオンすれば音節は増えず、エリジオンしない場合も無アクセントの一音節、開音節のものばかりなのでほぼ無害。ロシア語のся動詞も同様。アルカの nos も閉音節ではあるものの省略することもできやはりほぼ無害。ところが英語の oneself になると二音節なので少々煩わしい。理解のためには再帰代名詞は目立つマーカーとして役立つのでむしろ有利だと思う。
こう考えると再帰表現は効率の良い上手い方法のようだが、意味と汎用性を考えると不利な部分もあると思う。意味では、ある他動詞の再帰表現と、その 他動詞に対応する自動詞が等価になることは少ないので私のように抵抗を感じる人もいる。また、kill oneself と die が等価ではないということは、自殺と自然死を区別するには再帰表現だけでは苦しいということになる。アルカでも set と set nos だけでは足りず、運用効率を考えてか set, vort, latyur の三形態がある。幻日辞典で "set nos" を検索しても何も見付からなかったが、自然な感覚では set の自動詞が vort で set nos が latyur と等価だと思う。ところが vort も latyur も他動詞ということになっているので、では vort nos や latyur nos はどういう意味かと考えるとわけがわからなくなる。アルカは他動詞しかなく自他を覚える必要がないということなので楽そうだが、実は nos 化できるものとできないものを覚えなければならず、決して楽はさせてもらえない。結局、アルカに限らず、他動詞の再帰表現を自動詞の代わりにするという方法は、形態が覚えやすいことと再帰代名詞がマーカーとして理解の助けになることは有利だが、大幅に効率化できるというわけではないように思う。
絶対格の明示による他動詞・能動表現
他動不完了分詞 zem yor fai-nem (man doing patient death) 相手の死を実行する人→殺している人
他動完了分詞 zem yor fai nu-nem (man from doing patient death) 相手の死を実行してからの人→殺した人