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【人工言語】人工言語総論スレッド

539 ◆UOXJ7Oxg.I:2013/04/21(日) 00:12:35
昨日の続き。今朝からノドが痛くてアレだけど気付かないフリw

正直に言うと私は再帰表現がどうもしっくりこない。日本語の母語話者だからだと思う。なので自言語に取り入れようとは思わない。しかしそれはそれ、これはこれ、ということで自動詞と他動詞を区別する効率の良い方法を探る目的で再帰表現について、形態論と意味論から極力公平に考えてみる。効率は学習、発語、理解に分ける。この場合の発語とは口頭にせよ筆記にせよ言葉を発することを指す。

まず形態論に限って述べると、再帰表現の学習効率は最高だと思う。これは疑いない。運用では、発語は再帰代名詞が短ければ無害、長ければ煩雑ということになろう。フランス語の場合はエリジオンすれば音節は増えず、エリジオンしない場合も無アクセントの一音節、開音節のものばかりなのでほぼ無害。ロシア語のся動詞も同様。アルカの nos も閉音節ではあるものの省略することもできやはりほぼ無害。ところが英語の oneself になると二音節なので少々煩わしい。理解のためには再帰代名詞は目立つマーカーとして役立つのでむしろ有利だと思う。

こう考えると再帰表現は効率の良い上手い方法のようだが、意味と汎用性を考えると不利な部分もあると思う。意味では、ある他動詞の再帰表現と、その 他動詞に対応する自動詞が等価になることは少ないので私のように抵抗を感じる人もいる。また、kill oneself と die が等価ではないということは、自殺と自然死を区別するには再帰表現だけでは苦しいということになる。アルカでも set と set nos だけでは足りず、運用効率を考えてか set, vort, latyur の三形態がある。幻日辞典で "set nos" を検索しても何も見付からなかったが、自然な感覚では set の自動詞が vort で set nos が latyur と等価だと思う。ところが vort も latyur も他動詞ということになっているので、では vort nos や latyur nos はどういう意味かと考えるとわけがわからなくなる。アルカは他動詞しかなく自他を覚える必要がないということなので楽そうだが、実は nos 化できるものとできないものを覚えなければならず、決して楽はさせてもらえない。結局、アルカに限らず、他動詞の再帰表現を自動詞の代わりにするという方法は、形態が覚えやすいことと再帰代名詞がマーカーとして理解の助けになることは有利だが、大幅に効率化できるというわけではないように思う。

次に自他同形語の再考案だが、目的語の有無だけで自他を区別しようとすると、動名詞や分詞で不都合が起こるような気がするので更に検討を要する。先の例では deathing が「殺すこと」なのか「死ぬこと」なのか区別できない。能動分詞でも同様。ならば他動名詞と自動名詞、他動分詞と自動分詞を分ければ良いことになる。文法事項が一つ増えてしまうが、頻度を考えると本動詞としての自他の区別を減らし、代わりに分詞の種類を増やす方が、少しは効率が良いのではないかと想像する。結局はアプラウトで自他を区別するやり方が一番効率が良いように思えてきた。しかし乗りかかった船ということで、自他同形語の文法をもう少し考えてみようと思うけど、くしゃみも出てきたので葛根湯を飲んで休むことにする。続きはまた明日。


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