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業務連絡 4
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たてました。
自分がメンバーだと思う人のための連絡用のスレッドです。
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以上ご説明したように、現在私は4つのエネルギーワー
クを実施しています。毎日出来ることもありますが一つ
か二つしか出来ない日もありますし全然ダメな日もあり
ます。
エネルギー送信だけはダメなままでほおっておくわけに
いかないので、ダメな日があるとどこかでそれを取り戻
さないといけないです。それが精神的には凄く負担なの
ですが、切羽詰まると以外と新しい方法論に導かれたり
してブレイクスルーがあります。
本日も四日分取り戻す必要に迫られています。
こんなところです。
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こんにちは。
昨日は投稿後、中くらいのブレイクスルーがありまして
意識エネルギーの取り扱いが少し楽になってきました。
また、エネルギーの吸収、意識や肉体の浄化と送信、眷
属へのエネルギー供給などのバランスの取り方について、
少し理解が進んできたようです。
もう少し理解が進み、自身で実証できれば徐々にお話さ
せて頂けるかと思います。その時にはあらためて浄化や
意識エネルギーの補給(吸収)方法について、詳しくご
説明します。
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こうしたエネルギーワークとそれに伴う体験の結果、次
第に私のなかにはある認識が成長してきました。
仏教では「受想行識」という言葉があります。この言葉
はもちろん様々な解釈が可能でそれぞれに意味があると
は思うのですが、現実の生活に即した立場で言うと「受
想」の部分は学び考えることだ、ということができます。
それでは「行識」の部分は?というと学びに基づいて行
動し、体験することによってより深く理解が進んだり、
考えただけではわからなかった全く新たなものの見方や
理解が進むことを指しているといえます。
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私の場合は長い間、知的な真理の追究を行ってきました。
本を読んだり人の話を聞いたり考えたり、と「受想」の
部分で長い間追求を進めてきたのです。
ところがいくらこの部分だけで追求を進めても、すぐに
壁に当たるのですね。こうした学問的な追究や知的な追
求というのは、そもそもの「受」の部分、学びの部分に
どうしても限界があるのです。
それは「受」を与える元の人、つまり多くの場合は本の
著者だったり、あるいは講演などの演者だったりするわ
けですが、彼ら自身が解っているわけではないからです。
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学びを与える側は実は99.999%は悟られた方では
無いからです。ですからすぐに学びの限界に突き当たっ
てしまうのです。
それではどうすれば良いかというと自分で実践してみて
体験して理解するよりほかはありません。他人は頼れな
いのです。
そういうわけで2012年から私はエネルギーワークの
実践を始めました。そして前後してすぐに不思議ないき
さつで師匠に出会うことが出来ました。そのいきさつは
何度かここで述べた通りです。
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師匠との連絡はネット掲示板を介してだけだったので、
連絡先はもちろん、師匠のお名前も存じ上げません。
スピリチャルの世界には「貴方の準備が出来たとき、
師は現れる」という言葉がありますが、本当にその通
りの出来事で大変驚き、何度もこれは誰かのイタズラ、
ヤラセではないかと疑ったものです。
しかしもちろんイタズラでもヤラセでもないことを何
度かの出来事ややりとりで痛感しました。
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出会いから数年して突然師匠との連絡はとれなくなって
しまいました。それは師匠との連絡に使っていた少しマ
イナーなSNSサービスが終了してしまったからです。
仏教には「仏に逢(お)うては仏を殺せ」という言葉が
あります。これは中国臨済宗の開祖、臨済義玄(りんざ
い ぎげん)和尚の言葉として伝わっています。仏は悟
られた方ですからその教えは正しいのですが、かといっ
て仏といえども所詮は他人です。他人の言葉に縛られて
そこから抜け出せなくなれば自らの悟りはなくなってし
まいます。
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他人の悟りをあれこれするのではなく自分自身の悟りを
目指さなければなりません。師匠は私に対して天意を伝
える役割があったそうなのですが、天意だからとそれを
絶対視してもやはり自分が無くなってしまいます。師匠
と連絡できなくなったとき、私にもそのような、ただ自
らに向き合い、自らの井戸を掘らねばならない時期が来
たのだ、と理解しました。
つまり一旦師匠の指導や存在から離れて自由に試行錯誤
し、その中から学びをつかみ取っていかなければならな
いのです。
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だんだん解ってきたことなのですが、師という存在、そ
れは上の臨済和尚の言葉に従えば「仏」にたとえられて
いる、といえるのですが、そのような存在を意識すると
自動的に人間の意識には枠がかけられてしまうようなと
ころがあるのです。
人間というのは全く意識していないものなのですが意識
の中に何重にも枠がかけられています。その枠が善悪正
邪の判断基準とされ、良い意味では常識や良識として働
いている反面、人の魂の首かせになっているところもあ
るものなのです。
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そうしますと世の中で言われている善悪正邪の枠、価値
観はいったん取っ払ってしまって素直に物事そのものを
見たり感じたりして判断してみる必要が、真理の探究に
おいては必要になってくることがあるのです。
恐らく師匠と連絡をとったままだとそうした発想にも実
行にも至らなかったことと思います。
さてそうして善悪正邪の枠を離れて改めて世界を観察し、
自身の意識を観察したときに、善悪正邪ではなく全ては
エネルギー現象である、ということがだんだん納得でき
てきたのです。
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そして意識とエネルギー現象との関係を考察し、体感し
実験を重ねてみると、感覚こそ意識とエネルギーを結び
つける大切なキーの一つであることがはっきりしてきま
した。
エネルギーとつながるには「つながろう」という意志だ
けでは不足しています。エネルギーの「感覚」が無いと
つながれないのです。
これを私は「感覚の問題」と呼んできました。
大雑把な話をすると宗教や社会規範はしばしば感覚を罪
悪視してきています。社会風紀の維持の観点や犯罪抑制
の観点からはそうした立場が正当性を主張することは理
解出来ます。
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さらに大雑把な話をするとこうした感覚をもたらす行為
として性的な行為や感覚については仲間内では許される
話題として扱われるのですが、それ以外の場面ではその
ような話題を語ったり公にしたりすることは非難された
り恥ずべきものとされたりして否定的な意味合いでとら
えられています。
しかし性的な感覚も含めて感覚には重要な意味合いがあ
り深く理解してゆくべきものであると考えるようになっ
てきたのです。
感覚には重要な意味があります。それはエネルギーの世
界の扉を開く重要なキーの一つである、といえるのです。
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私には非常に大きな疑問がありまして、それはエネルギ
ーを創造するにはどうしたらよいか?という疑問です。
エネルギーを創造するには?等と言い出すとまるで宇宙
を創造するにはどうしたら良いかと言っててるみたいで
すが、そこまで大それた事は思っていません。しかし万
物が意識であるのなら、エネルギーも意識から生み出せ
るはずです。
我々の知る物質的なエネルギーは宇宙空間が産み出し星
によって光や熱や重力に変換されています。ですが意識
エネルギーはどうでしょうか?意識エネルギーは意識か
ら産み出されその鍵は感覚が握っているのではないでし
ょうか?
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