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テストスレ
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スレ立てテスト
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ですから高校教育の分野でこうした福祉寄りの対応として高
校教育の改革の兆しのような動きが出てきたってことを大変
面白いなと思っております。本来教育の本道の立場の筋から
こうした動きが生まれて来ても良かったんですね。でもそう
なってない。福祉の分野から出てきた。これ、教育の任にあ
る者と福祉の任にある者の、真摯(しんし)さの差じゃない
かしら?って疑います。教育の任に当たる者があまりにも表
面的な思考に片寄って本質を見失ってるんじゃないか?って
疑うんです。
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本質は何なのか?何を一番大切に考えてゆかなければならな
いのか?という考えは様々なんです。それで政策当局者たち、
あるいは教育界の人々は学力を中心に考えたと思うんです。
どうすれば学力を高められるか?学力の向上を目的としたと
思うんですね。
ところが学力を向上させようとした政策がことごとく上手く
いっていない。そして私の知る限りは、多くの生徒にとって
学校の勉強が苦しく嫌なものになってしまっている。苦しく
ても我慢して乗り越えて向上しようてな前向きなものになっ
ていない。
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仁義礼智信の話でいえば、「智」というよりはまぁ「知」寄
りの方なんですが、その「知」を目標とした教育政策は、ご
く一部の、全体の一割ほどの人たちにとってはそれほど悪く
はないんだけど、残りの大多数の生徒を苦しめる結果になっ
ている。
一方福祉寄りの思想から生まれた「エンパワメントスクール」
はこれはいわば「仁」の心から出た教育政策じゃないでしょ
うかね。これは多くの生徒にやり直すチャンスを与えている。
教育の価値観、目標の違いが二つの結果の違いを生んでいる
と思います。
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現実社会は「知」や「利」を中心とする価値観によって動か
されているんですが、それでどれだけ社会全体が豊かになっ
たか?表面豊かになったようにみえて現代日本の中学生・高
校生の多くのように内面ストレスだらけだったりしますね。
また恵まれない集団・社会にあっては戦争や弾圧の憂き目に
遭って苦しんでいたりします。
これを「愛」や「慈悲」や「仁」の価値観に社会全体をスイ
ッチしたらどうか?仁義礼智信でいいますと、まず「礼」だ
ったり「義」が先だろうと言うことになるようですが。
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そのほうがずっとストレスが少なくて、幸福感があって、実
は社会的活力もみなぎって、勢いよく発明発見がポンポン湧
いて出て、経済的にも発展してゆくんじゃないか?ぶっちゃ
けて言うとそういう事なんですね。それをもってユートピア
という事になるんじゃないかと。
こういうと簡単そうに思えるんですけど、現実はなかなか一
筋縄ではいかないところがあります。だって一口に愛といっ
ても人によって意識するものが全然違ってたりしますね。
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現代社会が「知」で動く、あるいはもっと「利」で動いてい
るのはどうしてか、お考えになったことがございますか?
私はそれは、「愛」や「慈悲」や「仁」と比べますと「知」
のほうが断然わかりやすいからだと思います。愛のほうがわ
かりやすかったらみんな愛で動きますって。
例えば遠い将来、「愛のメーター」みたいなのが発明されま
すとね、貯金一億円だけど「愛メーター」数値-100の人
より、貯金は20万円で「愛メーター」数値200の人の方
がずっと素敵!って女性からモテモテになるんじゃないかな?
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知はわかりやすい。だって難しい言葉が出てくるしテストの
点数になって出てきて学歴になってついて回る。実にわかり
やすい。
利はもっとわかりやすい。札束だからね、見えるし触れるし
買い物できるし飯食える。
でも愛は分からん。分かったような気がするけど実は分かっ
てなかったとすぐわかる。そんな不安定だし気がするだけで
見えんもん。
慈悲はもっとわからへん。
そら社会の基準にはならへんですわ。
そのわかりにくい愛や慈悲を誰でもわかるようにしないと知
から愛へ、社会の転換なんて出来ない道理です。
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従って第十グループとしての私たちの仕事の一つは愛とは何
か、これを私や皆さんやで語り合い論じ合う。そして明らか
にしてゆく。非常に抽象的な「愛」という言葉を、誰もが具
体的にイメージしながら自由に使える言葉に変えてゆく、そ
のような作業になるかと思われます。
第二には愛には様々な愛の諸相があるわけですが、その諸々
の愛を具体的な現実世界に落とし込んだときにどのような姿
となって具現化してゆけるか、現実化しうるのか検討してゆ
く、ということになるのではないでしょうか。
-
例えばいま教育について私の知っているところを語ったわけ
ですが、愛の理念から見た教育のあり方・姿はどうか。経済
を愛の理念からみるとどうあり得るのか?あるいは文化や芸
術はどうか?おそらく最も関心が高いのは人間愛、人との関
わりの部分だと思いますが、異性愛、親子の関係、友人・知
人との関係、こうしたものごとの姿を愛の理念から見てゆく
ことがスゴク大切になるのではないか。それは次の世代の人
たちが具体的にユートピア社会の建設に入らないといけない
のですがその下ごしらえをする作業ですね。
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こういう愛のあり方を追求する作業のことを「義を求める」
というようです。
まぁ歴史的にはもう少し狭い意味で使っていたようですが、
本質的な意味は「愛のあり方の追求」ということで良いよう
です。
そうしますと「仁」っていうのは「愛の完成」って意味なん
でしょうかね?
で、「礼」の本質的な意味は「意識空間の設定」ということ
のようです。もちろん孔子様が使われていた当時はそんな言
い方をしてもワケワカメなんで、もと狭い意味で使われてい
たようですがエネルギー的な観点からは「設定」なんですね。
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「礼」=設定 についてはあらためて詳しく論じたいと思う
のですが私たちにはそれぞれの意識空間とでも呼ぶべき思考
の空間がございます。よく観察しますと私たちは自分の意識
空間を無意識に次々と設定変更しているのがわかります。
それは自らの触れる感覚の刺激によって変えているわけです。
その設定変更を生じさせる最も大きいエネルギーは言霊エネ
ルギー、つまり言葉なんですね。
私たちは人と話すことで次々と意識エネルギーの空間、即ち
意識空間の設定を無意識的に変更していってしまう。
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その設定によって様々な現象を招き、様々な現実を作り出し
ていってしまっている、ということができます。
そこで調和した現実を作るためには設定を整えることが必要
になるわけですね。このための方法が「礼」であります。
従って意識エネルギー的な観点から言えば「礼」は一種の魔
法の術であるともいえると思いますよ。そしてこの「礼」の
意味を知り、研究すれば「礼」は非常に強力なユートピア実
現の手段となるのではないでしょうか。
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さてこのようにして愛のあり方を追求すべきであるというこ
となんですが、その愛という理念を体現していくのは吾であ
り、汝であり、万物個々の存在であるわけです。ですからそ
もそも存在とは何か?という質問は何度も自分に繰り返して
みる価値があると思います。「それは吾とは何か」、という
止むことの無い自問そのものでもあると思います。
そして私自身は存在は意識である、というひとまずの納得を
得たのですが、だからといってこの自問が止むわけもありま
せん。一つの納得はより深い納得を求めるものなのです。
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吾とは何か?存在とは何か?意識とは何か?
174氏や諸氏のお考えも聞けたので、次の機会には現時点
での私の考えをご披露し、また改めて皆様の意見も伺えれば
と思います。
一時間ほどの投稿のつもりでいたのですが夜が明けそうにな
ってしまいましたね。
では失礼いたします。
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んー。
長い、長すぎるというか、多すぎるw
年末進行で疲れ切った脳には負担が大きすぎる。
ま、急ぐ旅じゃねーし。
来年も、よろしくね。
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んー。
長い、長すぎるというか、多すぎるw
年末進行で疲れ切った脳には負担が大きすぎる。
ま、急ぐ旅じゃねーし。
来年も、よろしくね。
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大事な話は二度、かな?w
皆様よいお年を。
来年もよろしく。
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今年はまた155の話が読めて嬉しかったよ。ただ情報が多すぎかな。ポイントがぼやける。主題は「愛と感謝」じゃなかったっけ? 何について読んでるのか忘れてしまう。 個人的に知りたいのは意識エネルギーだけどね。なぜ思うだけで伝わるのか。意図するだけで変わるのか。スレのどこかで触れてたと思うけど埋もれてしまって探せないw
間もなく年明けだというのにここ覗きに来ちゃうあたり自分的にも引っかかってるんだろうな。
155も174氏もみんなも良いお年をね〜。また来年。
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アラサーさんや皆さんと、またご一緒できて、私も嬉しかった1人です。
今年も宜しくお願いします。
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皆様新年おめでとうございます。
今年が皆様にとっても、そして私自身にとっても実り多く、
さらに一歩前進する一年であること。
それをすでに私は知っており、そして一つ一つ周囲の人々と
ともに、そして皆さんとも共に具現化してゆく行動の一年、
一年であることをともに祝福したいと思います。
-
エネルギー的に申しますと信念のご挨拶は上のようになりま
すね。
書いていて思ったんですが、現代日本語というか、日本語の
語法のなかにエネルギー的にうまくマッチする表現が出てこ
ないんですね。それで祝福なんていう西洋風の言葉が出てき
てしまうのは、まぁ現時点としてはやむを得ないのかな、と
思います。いずれエネルギー的な視点からの日本語の表現と
しても洗練されたものが出てくるようになるのだろうとは思
います。
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常識的に申しますと現在我が家は喪中でありますのであまりこ
のような挨拶は控えるべきだ、という議論も出てくると思うの
ですが、私はそれは必要ないと思っております。
と申しますのは、喪中は…という考え方は死の汚れという概念
から出てきているのと、もう一つは死んだ方の立場に立てば、
自分が居ないのに地上でお祝いされてると腹が立つんじゃない
か?という気遣いからだろうと思うのです。しかしどれも本質
的な見地からすれば的外れなのではないでしょうか。
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まず死の汚れ論なんですが、これは死に対する恐怖心が根底
にあります。もう一つはそうした恐怖心をベースとした霊的
な諸問題ですね。
しかし死は恐怖すべきものかどうかという根本的な問題があ
るんですね。よく観察してみると、生命は成長と収縮を繰り
返すのが自然のあり方ですので、一人の人間の生命現象とし
て誕生があり、もの凄い同化力で物質を引き寄せて成長する
時期があり、小さな拡大と収縮を繰り返した後最終的に凝縮
して死を迎える、というサイクルは極めて自然な現象です。
-
そしてこのサイクルが魂、意識の進化発展を保障しているの
ですから、本来はなんら忌むべきものではないはずです。
死はあの世とこの世という複眼的な視点で見ればいわば一つ
の学校の卒業に過ぎず、新たな新天地での学習や業務の生活
が始まるわけですから、本来は、残った者にとっては寂しく
はなるけれども前途を祝するめでたい気持ち見送るのが適切
ではないかということになりますね。
そしてそれは残された者にとってもエネルギー関係が変わっ
てきますので同様に新たな出発となりますね。
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ですから死の汚れ論も天上の人への気遣い論にしても、どち
らも真実からは離れた思考であると思います。
むしろ必要なのは去った者も残された者も、お互いに新しい
年を迎えたのですから、この一年を豊かな一年にしてゆくぞ
と言う決意、意気込みが大切ではないでしょうか。
ですから本来死は恐怖心を持つべきものではありませんので
いずれ霊的な問題も消滅してゆくでしょう。
まぁ、天上では無くて天井のあたりに去ったはずの者がいた
ら、そりゃ気遣いが必要ですけどね。ちゃんと天上にお送り
しなければなりません。
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さて、そのように死に対する考え方が変わって参りますと、
やがて葬礼についての考え方や感覚も大きく変わってくると
思います。
しめやかであっても明るい楽しく感謝に満ちた葬礼の
あり方がだんだんと模索されてくるのだろうと思います。
もちろん現在でもそのような葬礼は一部にあるようですね。
もちろん死に方にもいろいろありますので残される者の想い
も様々で、あまり画一的なことは言えないわけですが、全体
としてはそのような傾向になるのではないでしょうか。
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さてこれから私はしばらく存在と意識に関する現時点での私
自身の考えを整理してお話ししたいと思っております。
ただやはり現在の私が到った考えには前提となるお話がいく
つかございますので、やはりそれに触れておかないわけには
参りません。
それで最初に触れておきたいのは「気」についての考えなん
です。853氏がご興味をお持ちだという「意識エネルギー」
の問題なんですね。
私は現在毎日意識エネルギーの活用に取り組んでおります。
これはちょっと特殊なことなのかといいますと、そうではあ
りません。
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意識エネルギーの活用と申しますとスゴク特殊な事のように
お感じになると思われますが、皆さん日常でいつもやってお
られることです。
どのくらい日常かと申しますともうあまりにも日常的すぎて
まったく意識できずに自分自身でよく分からないくらいに日
常的にお使いなんですね。
しかしこれを意識して活用されている方となると意外と少な
い。
そして意外とDQNさんなんかはこれを半分意識して活用
(?)されたりしておられる。650氏についた生き霊さん
も、意識エネルギーで生じているのです。
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例えば私が生き霊を作ろうと思いますと割と簡単に作れると
思います。タルパみたいなものかと考える人も居ると思いま
すが、まあその前段階ってでも言いましょうかね、理論的に
は。でも作りません。
後処理が大変だからです。
しかしそれと似たような現象はオタクさんがお得意だ、って
言ってる方がいらっしゃいますね。それは猫姫様です。猫姫
様が猫から聞いた話として紹介して下さっております。
私が最初にその話を読んだときは意味がよく分かりませんで
した。
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しかし今は解説できるくらいよく意味がわかります。
話は変わるけど、猫姫様のブログって本当に意味が分かりに
くいんですよ。原因はMAHAOちゃんがちょっと文章下手
なところがあるんだなんだね(失礼!)
だから読んで気持ち悪いと感じたりするんだね。私も最初は
言葉遣いや文章の意味が分からなくって、気持ち悪いなって
思いましたが、読めるようになってみると本当はもの凄く価
値のあるブログです。
もうね、私がいちいち解説付けるか、書き直してあげて世に
出したいくらいですね。
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さて、私三ヶ日は自宅を不在にしますので多分書き込みはほ
とんど出来ません。続きは三日晩以降に。
それはさておき、174氏が最近変わっちゃったように感じ
るんですけど。前は見えない世界信じたいけど信じざるを得
ない理由カモーン、だったと思うんだけど。
今はもういいや、信じてもいいのかな、みたいな…。
では失礼。
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>>863
ひいっ、後処理って、どう大変なのですか。
作成した本人のもとに戻ってくれると理想だなあ。
あ、ちなみに650です。
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あけおめ、と。
見えないほうが良いものが見えたことくらいは、あるのよ。
問題なのは、脳の誤作動だったのか、それとも居やがるのかってのことでね。
居やがるほうだった場合、対処法を知らなきゃでしょ。
となると、既存の宗教やスピリチュアル(と一括りにしちゃっていいのかは知らんが)が、言ってたことを検証せにゃ。
ま、危険ならば近づかなきゃ良いけど。
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>>865
あのブログの気持ち悪さは決して文章だけではないんだけどね。
気持ち悪いというあなたこそが魔の者だ!と言うならそれでもいい。
単純に合わないと理解してくれてもいい。ご自由に。
カルシウムが必要だとしてさ、様々な身近な食材で取れるよね。魚も乳製品も大豆製品もあるわけで。
何もわざわざ手に入りにくいバオバブの実を食べなくてもいいし、好き嫌いの分かれる蝉の幼虫なんてよほどの事情でもない限り必要ない。
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ああ、前後逆になった。
本年もよろしく。
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本物なのかどうかはわからないけれど、有名なスピ系のブログやツイッターって、
どうしてその文章???って疑問に思うのが多いのは何故でしょうね。
イライラして途中で断念しちゃう。
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皆さま、あけおめ〜
私も喪中なのに年越し蕎麦とかお雑煮とか作ってる場合か?
もっと悲しみを噛み締めないといけないんじゃ無いか?と思うのですが
あっけらかんとしております。
魂が抜ける瞬間には立ち会えなかったのですが、
死んだら天井から皆んなを見下ろすんですよね?
皆んなで天井に向かってサヨナラしときました。
天井から天上にはいつ行くんですかね?
その前に、病室で死んで霊安室とか葬儀場とか移動するのに
抜けた魂は付いて行けるのか?心配になりました。
ファブリーズしたから消えちゃったかも!
輪廻転生でいつかまた会える時は、より良い関係でありますように〜
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あけおめでござる。
今年もよろしく
-
こんばんは。
>>867
生き霊とかタルパとか、とんでもない不思議なことのように
思われるかもしれないですけど、実際はそうでもありません。
理論的に考えましても、案外簡単にこうした現象は起こって
しまう、と言えるのです。
どんな理論なんだよ?ってなると思うのですが、それが私が
お話ししたい「存在とは何か」という問題なんですね。
ところが作るのは良いのですが、その後はどうするか?とい
う視点が、こういうことに興味を持つ人には欠けているよな
ぁと私は思います。
-
だって人間だってそうじゃありませんか。チョチョイと男女
で合体しますと一年もたたずに完成しちゃいます。
しかし作るのは簡単ですが、一人でも作りますとその後が大
変ですよ。どんだけお世話しないといけないかってことです。
それはもう物質的にも精神的にも多大なエネルギーが必要に
なって参ります。
20年ちょっとで独り立ちしたらそれで縁が切れるかという
とそんなわけはありません。死ぬまで親子の縁は続き、さら
にこの世の時間を越えて来世、来来世と縁そのものは続いて
ゆくんですね。
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肉体を与えるだけでもこれですよ。
ならば存在を与える生き霊だとかタルパだとどうなるんだっ
て事ですよ。子供だってね、親孝行の良い子ばかりだとは限
らないわけですよ。やはり親の面倒見が悪いとですね、深刻
な親子問題を引き起こすことだってあり得るわけですね。そ
して、親子の場合はこの世のあり方として、「親子の縁を切
る」なんて関係もあるんですけど、タルパや生き霊さんはど
うなんですかね?エネルギー的につながってたり、自分が作
ったという因果関係は無くならないわけですよ。
-
そうしますと、作ったはよいけれど、その後生き霊さんやタル
パさんが人様に迷惑をかけるようになったら、エネルギー的な
因果関係からして何らかの責任をとらされるというか、エネル
ギーを回収されるような動きがおこってくるんじゃないですか
ね?
ですから生き霊さんの場合、(そういうケースはほとんど起こ
らないと思いますが)自然消滅するなら良いですが、最悪の場
合、生き霊が自分の想念を支配する、なんてこともありうるの
ではないでしょうか?
-
ならば独立人格的な存在であるタルパさんだとどういうこと
になるのか?ってことです。
よほど是非判断の出来る性格を与えないと、とんでもタルパ
に成長して言ってしまう可能性がめちゃくちゃ高くありませ
んか?かといってタルパさんを呼び寄せて、紳士淑女に教育
できますか?
タルパさんがストレス感じて「うっさい!死ねこのくそ親」
なんて言い出さない保障はありませんね。そして恐ろしいこ
とに、タルパさんがそんな状態になったとしても、作ったご
本人はよく分からないですよね?
-
そういう可能性はあり得ないとは言えないんです。
もしそうなっちゃいますと、見えない世界から常に攻撃を受
け続けるわけで、しかも自分のエネルギーの一部だった存在
なんですから、防御が極めて難しいってことになりませんか?
「謎の不幸に見舞われ続ける人生」てのも展開する可能性が
ありえますね。
まぁ、神様の立場って言うか、造物主の立場ってそういうと
ころありますよね。自分の不幸は神様のせい。神様なんて死
んじまえ、なんて罰当たりな呪いを吐く人はいつの時代も少
なくないと思います。
-
そうしますと造物主っていう存在は宇宙全体のあらゆる所から
呪いのエネルギーが集中しちゃうのでほんと大変だと思います。
感謝のエネルギーを送る人々が多いと良いんですけどね、地球
でもそうなんですが宇宙全体のバランスから言うとなかなか微
妙なところみたいなんですね。スターウォーズみたいなものの
ようですから。うっかり宇宙作ると大変ですね。
でもそれにもかかわらず、万物を育て、意識の高みに導いて幸
せを体感してもらおうと、宇宙楽器のサイトで言うクリエイタ
ーさんは努力しておられるわけですね。
-
ですからクリエィター(造物主)さんって、本当に慈悲と愛
の塊だと思いますね。
そういうクリエィターさんの慈悲と愛の心に気づきますと、
これは協力しなければなるまいってことになりますよ。ここ
で知らん顔していたのでは女が廃(すた)るし男の名折れだ、
ってことになりまして多数の人が地球を愛の星にしようと宇
宙から参集してきているようですね。況(いわ)んや、もと
もと地球由来のグループである太陽系アガシャーグループに
於(お)いておや。ってとこですね。
-
で、ここまで書いてちょっと疑問を感じたんです。あたしっ
て太陽系グループなのかしら?
というのはですね、どうも私の指導霊団が特殊な感じなんで
すね。歴史上あまり表に出てこない零系らしい雰囲気なんで
す。
で、訊いてみたんです。
そしたら、あらあらこういう疑問が出るときって、やはりと
いうかなんというか。違うっていう。太陽系グループとは別
系統の宇宙系参集組だということらしい。どうも私自身は数
千万年前のことのようです。
そして第十グループの特殊性野一つはこれでもあるようです。
-
つまりほかの起動グループは地球由来の人々が主として構成
されているのに対し、第十グループは宇宙由来の人々が多く
集まっているんだそうです。
特殊性野一つは→特殊性の一つは
動揺してたんか?
では今日は失礼。
-
>>868
なるほどね。
脳の誤作動だったとすると、何が誤作動の原因だとお考えで
すか?例えば脳に電気ショックを与えると過去の感覚的体験
を追体験してしまう、ということが実験的に確かめられてお
ります。
あるいは薬物により様々な感覚的な体験が生じるということ
もよく知られております。
また意識のレベルを下げてゆきますと様々な感覚的体験をし
てしまうのは私たちの日常的な経験ですね。例えば睡眠中の
夢だとか、催眠暗示などですね。
174氏はどれであったとお考えですか?
-
つまり誤作動を起こすには何らかのエネルギー的な変化が必
要である、といえるのではないでしょうか。エネルギー的に
何かをプラスするか、マイナスするかの何かの変化ですね。
174氏がいらざるものを見てしまったときにはそのどちら
状況が生じていたと判断できるでしょうか?
また、もう一つ疑問が生じますね。
脳の誤作動としても、その見たものは果たして単なる幻なの
か?そもそも単なる存在の根拠のない幻などあり得るのか?
-
エネルギーがマイナスされると脳が誤作動を起こす、様々な
感覚的体験をしてしまう、とは不思議な気がする方もいらっ
しゃると思います。エネルギーが減るんだから逆に何も生じ
なくなるのではないかと考えてしまうからです。
しかし実際はそうではありません。なぜなら私たちは常に他
者のエネルギーの放射に曝(さら)されているからです。自
分一人でエネルギーを発生し、その中で生きているのなら、
エネルギーが減ると何も生じなくなる道理です。しかし他者
のエネルギーに曝されて生きているならばどうでしょう?
-
自分のエネルギーが弱くなった分、他者のエネルギーの影響
を受けやすくなり、見たくも無いモノを見たり聞いたり感じ
たりする可能性が増えませんか?
つまりこうした体験は自分と他者との相対的なエネルギー量
が問題であり、他者のエネルギーが強くても自分のエネルギ
ーが弱くても、どちらの場合でも起こりうる現象である。
そして見逃せないのは、これはエネルギー現象である、とい
う視点ですね。そもそもどのような現象であっても、そこに
現象があればエネルギーが動いているのです。
では仕事ですので失礼。
-
視たのにも関わらず誤作動を疑うからには、実在していなかったということだわな。
当時は日付が変わらないと帰れない状況続きで、かなり疲弊していた。
脳が正常に働きにくくなるくらいならば、幻覚を疑うでしょ。
目に入ってきた光の信号を目の奥の網膜の神経細胞が電気信号に変換し、
脳の中のスクリーンに現れた映像作り出す、どこかの過程で誤作動を起こしたと考えるのが妥当かな。
-
タルパと多重人格は同じものなのかな?
一般的には別物なのは明白だとしても、精神世界としては同じような気がするのだけど。
-
こんばんは。
>>888
幻覚が誤作動で起こるって、変な感じがしませんか?
視覚系の誤作動というなら、例えば見えている映像が歪んだり
ぶれたり、断裂したり、見えなくなっちゃったら誤作動と言え
るでしょう。また視覚的な異常信号、例えば異常な光が一つと
か多数とか見えたというなら神経的な異常信号だと言えると思
います。
でも何らかの意味のある形なりを維持しているとしたら、それ
はすでに異常信号では無くてすでに情報ですよね?
その情報はどこから来た?って事です。
-
>>889
タルパは多重人格とは根本的に違いますよ。
タルパは人工的に作り出した意識体のことを言います。
これの面倒なところは自分の人格の一部とかでは無くて、
別人格を作り出すところことにありますね。つまり自分
ではコントロールできない存在なんですね。遅かれ早か
れ自分とは離れてしまう存在である。だってタルパだっ
て自分で生きてゆかねばなりません。そうしますと、自
分でエネルギーを獲得しなければならない。これどうす
んだ?ってことですよ。
-
タルパさんが完成した人格であれば立派に独り立ちして
やってゆけるかもしれませんけど、まぁそんな完成した
人格のタルパを作り出せるはずもありませんね。作り出
す方の我々自身がたいして完成してないんですからw。
そうしますともうタルパさんが知らないところで好き勝
手にいたずらして多くの方、多くの存在に迷惑かけてる
ところまでがぱぁっと想像できちゃうじゃないですか。
そしてそうしたタルパの未来を理論的に想像してみまし
ょう。すると私の理論では二つの可能性がある。
-
大きく分けて二つということなんですが、一つは
人間の輪廻のサイクルに入ってゆく可能性ですね。
これはもう人間の創造と言えますね。ベストコー
スです。
もう一つの可能性はバッドコースでして、いろん
なところに迷惑かけまわって好き放題やらかし、
次第に最初の形を失った意識存在になってしまう。
こりゃもう妖怪変化ですやん。
そしてどちらにしても、もともとはタルパの制作
者の意識エネルギーから生まれたものですからそ
こがどうなるか。
-
つまり、作った者と作られた者という因果関係
は永遠について回る。肉体を作りますと親子関
係が出来ますが、それはまぁ次生まれ変わるま
でで、生まれ変わったらそこで新たな関係に切
り替わりますやん。でもタルパはそうならない。
なぜなら肉体は一代限りですがタルパは永劫じ
ゃないですか。作り手が消滅させない限りは。
そしてエネルギー的な因果関係が生じてますか
ら、どっか知らないところでやらかしたタルパ
の行為とか環境とかが当然自分に大きな影響を
与えることがあるはずだ。
-
今世で一時の思いつきでタルパを作ってしばらく遊んでポイ
捨てしたのは良いけれど、その後タルパさんが大変苦労した
り暴れ回ったりして、そのツケがどんと来る人生になっちゃ
うと嫌ですよね。
もっと嫌なのはタルパさんの苦労が延々と何代も生まれ変わ
るたびに続いていて、その救済のために生まれ変わらないと
いけないとか。
まぁ救済だからそれは良いのか。
でもまぁ思ってもみなかった影響が出るかもしれないんです
ね。
-
このように理論的に考えてみますとタルパ遊びは
大変危険である、といえます。なぜなら本当に出
来ちゃうからです。そしてタルパの責任は制作者
が問われることになっちゃいますからね。
どうしてそうなるのか、タルパでも簡単に作れち
ゃうのかという理論を説明したいわけなんですけ
ど、もうしばらくお待ち下さい。
私実はいまYoutubeにはまってますん。時間があ
ると見ちゃってますのでなかなか投稿が進まない。
-
後ろの人的にはもういい加減にしろよ、的なところ
はあるんですが、動画って本当にはまりますよね。
出会いの馴れそめ、そして別れの動画も面白いです
ね。面白いだけでなく人生とか、人のものの感じ方
・考え方の勉強になります。
韓国軍のレーダー照射問題も追っかけてます。こん
なに炎上してゆくとは思いませんでしたが、擁護す
る者、批判する者、先方の言い訳や対処、全てが面
白く興味深いですね。
-
因果応報系の動画もいろいろ考えさせられます。
武田先生の動画を見て、この方は155スレで
も皆さんの評価が高かった記憶がありますが、
なるほど凄い方だなと感心しました。
ちょっとスピ系になりますが、四国の方でしゅ
うさんという方の動画を利用させて頂いており
ます。パワースポットの動画を流すんです。
さて今から宮大工シリーズを見たいと思ってま
す。なかなかいい話なんですよ。
では失礼。
-
>>891
知ってますけど、やはり話を聞けば聞くほど同じにしか思えませんね。意図的にか自然にかの違いでしかないと。
後ろの見解はどうなんでしょうね。
-
>>899
この件、念のために確認してみました。私自身の多重人格の
認識と、一般に言われるビリー・ミリガン事件などの多重人
格事件の真相との違いがあってはいけませんので。
結果から言いますと、一般に多重人格は自分の魂・意識の中
から派生した自分自身の別人格というように捉えられている
ようですし、899氏の認識もそのようなものであろうと思
われます。
しかしこれは目に見えない魂・意識と目に見える肉体とを同
一視しているところがあるようですね。意識と肉体とは同一
ではないのです。
-
誤解を恐れずにスゴク簡単に申しますと、肉体は
魂・意識にとって住居のようなものです。タルパ
は宅外出産、生き霊は自宅出産みたいなものです。
ところが多重人格は鍵をかけ忘れた住居に部外者
が侵入したようなものですね。
鍵がかかっていないので勝手に侵入したのか、そ
れとも仲良くしているうちに入り浸られてどちら
が主人か訳が分からない状態になってるか。
ちょっと乱暴な例えですが、そのような違いです。
-
従って多重人格の概念とタルパの概念は全く違うと言
えます。
本来、肉体はそれ自身が一つの結界(エネルギー場)
でして、勝手に侵入することは許されないのです。
ところが意識・魂が弱っておりますと隙(すき)を見
ては侵入しようとする意識存在が出てきてしまいます。
私が観察した例では、過呼吸発作を起こした人の例が
あります。私は過呼吸発作というのを初めて見て、何
が起こっているかよく理解できませんでした。そこで
通信で起こっている状況を確認したのです。
-
そうしますと、過呼吸発作中に実は患者に良くない
存在が近づいていたのだ、というのです。
その存在は患者の首の後ろ、風門というツボを通じ
て患者の肉体に侵入しようと試みていたとのことで
した。そのために患者は激しいストレスで意識を失
い、過呼吸発作を起こしていたのでした。
一般には肉体の結界機能が働いておりますし、後ろ
の人たちの加護がありますので、やすやすと近づけ
ないのです。ですからこのような現象が起こるには
実は下準備が為されているのです。
-
その患者の方は優秀な方でした。それだけに悪さ
をしようとする存在にとっては大変美味しいエネ
ルギー源にできるんですね。目を付けられたわけ
です。次々と周りから理不尽な目に遭ってしまい
ます。
そのために恐怖心とか怒りとか、心に闇を抱えて
しまう。いわば侵入するための突破口のようなも
のを意識の中に開いてしまったのです。
何年もかけてそのような状態に追い込んでおいて
隙あらば乗っ取ろうとしているんですね。乗っ取
られてしまうと多重人格者になってしまうんです。
-
その方の背後の守護も強力ではあるようなんですけ
ど、このように謂(い)われない迫害に何度も遭
(あ)ってしまいますと人間の心は正常ではいられ
なくなってしまうものです。そのために心に闇を抱
えてしまうのです。
守護の者からしますと、外部の綻(ほころ)びを繕
(つくろ)い守るのはなんとかなっても、内部に開
いた穴はなんとも難しい話です。
しかしそれは自分で開けた穴故に自分で満たしてゆ
くしかない。それが厳しくて本当に大変だけれども
人間の定めなんです。
-
なぜなら、私たちの本性として「知りたい」とい
うやむにやまれぬ気持ちがあるじゃないですか。
善を知り、光を知りたいと思う。その本質は自分
自身を知ること。
しかし善の中に居ては善は分からず、光の中に居
ては光すら分かりません。
悪を通して善を知る。ここを通過して初めて善を
通じて大善を知ることが出来るようになる。
でなければ、百兆年たっても小善の中でグルグル
尻尾を追いかける犬のように、そこらを駆け回る
ことしか出来ないはずだ。
-
ここに悪の存在価値がある、ともいう見方も出
来ます。
人間は知りたいがために何でも出来る自由を持
っている。
善事も出来れば悪事を働くことも出来る。その
ために他人と喜びを共有することも出来れば他
人から奪い奪われる体験をすることも許されて
いる。
このようななかでどうすれば私たちの住む共同
体を平和に楽しく発展的にすることが出来るの
か?これは大きな課題なんです。
-
私はいま生きていれば100歳ほどになる方に若い頃の話を
聞いたことがあります。
その方の話では、若い頃は鉄道で県庁都市に行くだけで地元
より数日早く様々な情報を手に入れることが出来て、商売に
生かすことが出来た、と仰っておられました。わずか7、8
0年前ほどのことなんですが、その時代は世界(共同体)と
いうのは家の屋根に上って見渡せる範囲だったのでしょう。
今日では情報が発達しておりますので国家レベルでの共同体
認識ばかりか、地球レベルでの共同体認識も育ってきており
ます。
-
急速な交通と情報技術の発達が社会全体のあり方、そして
人間意識のあり方をも大きく変えているんですね。人間が
意識する共同体の大きさが急速に膨らんでいるのです。
100年前と比べて急速に広がった共同体のサイズ感は小
善では無く大善、小悪ではなく大悪の時代を迎えていると
思います。
こうした社会の中で、人間本来の権利である善悪の選択の
自由をどう保障できるか。智惠によりなっとくできればよ
いのですが体験してみないと納得できないことも多いので
す。
-
奇妙な言い方ですが、人間には悪を犯す自由がなければなら
ない。そしてまた悪を善に変えてゆく強さが無ければならな
い。
私がターゲットとする30年後の社会も共同体意識のサイズ
感は現代とあまり違わないと思います。小悪(個人悪)・大
悪(社会悪)様々な悪に直面する社会にあって、全体をどう
すれば調和にまとめ上げてゆけるのか。大きな関心の一つで
すね。悪にあっては善を、大悪にあっては大善が必要なので
はないでしょうか?
-
今はまだ見えない世界のものに蹂躙されて苦しんでいる彼女
ですが、いつか必ず自分の弱さを克服する時が来ることでし、
ょう。
そしてそのときには現在の苦しい体験が、きっと宝石のよう
に貴重な必要な体験だったと分かるのではないでしょうか。
30年後の世界にあって、より学び、より己を磨いて人々に
安らぎを与える存在へと成長していって欲しいと願っていま
す。
-
ちょっと体調を崩したのと忙しいのもあってね。
見てるだけの日々でしたわ。
30年後?長げーよw
-
どうやったらスレッド作成できるんですかね?
「規制中」とか出てくるんですけど。
-
管理者メニュー
設定の中の「投稿規制・制限」
投稿の中の一番下、スレッド作成パスワードを「使用しない」にするか
パスワードを思い出せ
-
または
「使用しない」にしてから
新たにパスワードを設定できるんじゃないかな?
-
スレッド作成パスワードを「使用する」に設定した場合、ハンドルパスワード所有者のみがスレッドを作成することができます。
だってさ
アラサー女★で立てればいいんじゃね?
-
>>914-
ありがとうございます。
パスワードが必要だと叱られるんだけど、ポスワードの入力
するところが無いんですよよね。とりあえず「使用しない」
でやってみる。
-
できた。
ありがとう。また夜に。
-
こんにちは。
夜来ると申しながら…なんですが、いろいろと迷っておりま
して。別スレでやった方がいいのかな?などと。
とりあえず、様子を見ながら進めていきたいと思います。
さて、ざっくりした話をしたいと思います。
実は存在の根源を考えてゆきますと、「意識は意識からしか
生まれない」といえると思います。だって、生まれるものと
生んだものは本質的には同じであるはずだと思うんです。
深い意味で本質的に違う存在であるならば、互いに相互作用
の起こりようが無いからです。
-
そしてこの宇宙における「存在」というものを考えてゆきま
すと二つの方向性がありまして、一つは小さな粒子から出来
ているのではないか、という考えです。
物質は素粒子から出来ているわけですが、意識もやはり物質
同様に意識の素粒子のようなものからできていると考えるこ
とができるのではないか。
さらにその素粒子とは何か?物質の素粒子とは何か?意識の
素粒子とは何かを突き詰めて考えてゆきますと、これは結局
本質的には同じものではないか?
そう考えることができます。
-
素粒子の本質とは何か?こう考えを進めてゆきますと、粒子
存在は空間を占めております。そうするとその空間を限りな
く小さくしてゆくとどうなるか?
実は空間も素空間とでも呼ぶような、最小の空間というもの
があるのではないか?そういう考えに行き着きますね。
さてもし最小の空間という、空間の最小単位が存在するので
あれば、その空間と素粒子の関係はどうなるのか?空間の最
小単位ですから「素空間」とでもなづけておきましょうか。
素空間と素粒子の関係はどうなのか。
-
空間とは一様な状態では無く、素空間がいろいろな状態を持
つことができると仮定します。
例えば、ある素空間は「オン」の状態であるが、隣の素空間
は全て「オフ」の状態だったとしますね。そうすると、その
「オン」の素空間は隣から浮き上がって認識されるはずです。
つまり何も無いはずの空間に突然ピカッと粒子が生まれた、
こんな感じに認識されるじゃろうということです。
これって、素粒子といっていいんじゃないですか?
-
すみません、名前入れ忘れてました。
さて続きです。
このように存在について考えを進めますと、これは現時点で
の私の考えとして申し上げてるんですけど、空間と存在は本
質的に同じ存在である、と。そして空間も素粒子も全て小さ
な小さなツブツブで出来ているのではないか、このように一
つの考えが成り立つと思います。
もう一つの考えは、前記のような考えをベースにしたときに
発展して考えられることなんですが、そのような素空間、素
粒子が敷き詰められて出来た空間で何がいえるかと想像して
みたわけです。
-
そうしますと、全ての存在は一瞬たりとも停止してはいないん
ですね。常に動き続け、変化し続けております。
この変化する、ということは時間が存在する、というよりも時
間が生まれる、と考えた方が正しいと思いますが、時間の中に
ある。
その変化が一カ所に止まって在る状態を保っていればそれは素
粒子といえると思うんですが、一カ所に止まっておらずに次々
に変化が伝播していったらどうなるのか?
これは二ツの場合が考えられまして、一ツは素粒子が運動し、
移動する状態にある、といえる。
-
もう一ツは、素空間や素粒子の上を波が伝わるように何かの
変化が伝わってゆく場合ですね。そうしますともしこの変化
があらゆる方向に満遍なく伝わってゆくのなら電磁力とか重
力と変わらないといえるのですが、もしある形とか個性を保
って伝わったらどうなるか?これはやはり一種の存在と言え
るのではないか、ということです。
つまり存在には魂などのような粒子的な存在と、波のような
よく分からない存在の大きく分けて二種類の存在があるので
はないか?と想像されます。
-
それはどんな存在かと聞かれると、あくまで理論的な可能性
として申し上げたので、よく分からないわけですが。
さてこのように考えてみますと実は物理学の素粒子研究にお
いて、空間そのものについての研究ってあまりないのではな
いかと思います。素粒子がヒモだ、11次元だとか言ってるの
はあるんですけど私の知ってる範囲では湯川秀樹先生の「素
領域理論」くらいしか知りません。
知りませんっていうか、その内容も知らなくて、知ってるの
は理論の名前だけなんですが。
-
以上のような考え・見方が現時点で「存在」に関する私の認識
の基本にございます。
私の体験がさらに広がり、深まってゆけばものの見方はいろい
ろな追加や修正は入ると思うのですが、当面の間は私自身はこ
れでやっていって問題ないのではないかと思っております。
ここからさらに発展して霊的な諸現象、人間社会の様々な事象
や出来事を、どのように応用的に捉えているか、予想している
かという話は追い追いにやっていきたいと思っています。
では失礼。
-
違う。
と、はっきりと否定するのもなんだけど、ね。
なんて言ったらいいか。
食べ物は粒子である、みたいな。
確かに突き詰めれば素粒子だけどさ。
そういうことじゃない、と思うのよ。
-
ごめんなさい。あまりに短いので何をおっしゃってるのか
分かりかねます。
-
もう少し説明を加えて頂けると助かります。
-
今、書き込んだ瞬間に174氏のおっしゃりたいことが解ったかも。
なるほどね。
でもね、存在が個別性を持っているとはどういうことか突き詰めて
考えますとやはり存在とはそれぞれに領域を持っていると考えざる
を得ないんですよね。
-
つまり、個別性の最小単位はなにか、って考えますとそれは
数学的な意味でまさに点としか言いようがないのではないか、
粒々であるとしか言いようがないのではないか?ということ
であります。
-
うーむ。
まあ、「意識とは物質で言えば素粒子みたいなツブツブなもので構成されている」というのが、155の説だと読み取ったわけだが?
適切とはいえないが、ケーキで喩えようか。
ケーキは何でできているかととわれれば、最終的には素粒子なわけじゃん?
でも、砂糖と小麦粉と生クリームだと思うわけよ。
そして素材とともに作成方法が密接に絡む、そうじゃないとケーキにはならない。
素粒子レベルから意識の粒子が存在がするならば、少なくとも分子レベルで意識が存在することになる。
というような会話をしてたんだがね、ある人とさ。
-
そこからの、
いやいや、ケーキだと既にさなざまな意識の混合体じゃね?
↓
じゃあ、砂糖レベルか?甘いというのが意識の発露というか主張じゃね?
↓
え?じゃあ意識の最小構成要素って何?それを155が言ってるんじゃね?
茶カテキンとかユーカリの毒素とか、あれって一種の、その植物の意識や感情で体がちぎられることによって出る成分でさ。
分子レベル?
↓
俺とすれば意識=思考に近いわけで、電気的な流れかプログラムなわけよね。
電子の流れを突き詰めれば素粒子ではあるが・・・空間に電気回路があるようなものが幽霊に近い?
↓
もしかして、飛躍しちゃうけど宇宙は一つの楽器とかいうのに結びつけたいんじゃね?
↓
意識がプログラムに近いならば、美しい旋律として素粒子レベルからプログラムされてるんじゃね?
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ま、現在こんなとこなわけよ。
理解が進んでいるのだろうかw
155との話題を誰かと話すことで自然と3人で話していることに似るw
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