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テストスレ
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スレ立てテスト
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こんにちは。
興味深い話が多いのですが、私いま葬式関連のほうに気をと
られておりまして、いくつか仕事が終わるまではどうも落ち
着いて書き込めそうにありません。
ちょっと読みますと、皆さんの意見に関連して私の意見もご
披露したいなと思う話ばかりなんです。
というのは、テーマとなっている話題がここしばらく私が気
になって追求していた問題とそっくりなんです。
それは「意識する」とか「認識する」とはどういうことなの
か?って問題なんです。
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「追求している」っていうとご大層な感じがしまして、バリ
バリ文献を探索するとか、毎日深く瞑想に入ってるみたいな
言い方なんですけど、そんな大層なものではありません。
ただまぁいつも心の片隅に疑問として持っていて、いろいろ
な心の動きとか、目にとめた事柄について「アレ?これって
どうなの」と考えてみるとか、よく見てみるということです。
そうしますとだんだん見えてくるものがありまして、一つの
見解がまとまってくるんですね。
まぁ、そういう感じでの追求です。
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ところで。「存在は意識である」という表現は二つの解釈が
可能なんですね。皆さんの話を読んでいて気づかされました。
私は存在とは何か?それは意識の別名である、って認識に到
りました。つまり私たちが目に見て「存在」している思って
いる全てのモノは意識を有している。それ故に私たちがただ
のモノだと思っていても、それが存在であるならば対話が可
能だし、彼らも感情や感覚を持っている、そのような結論に
到ったのです。
だから修辞とかでは無くて、もろに「存在は意識なんだ」っ
て認識をしたわけです。
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「存在は意識である」というもう一つの解釈は、「私たちは
あるものや事柄を『存在』だと認識するのだが、その認識は
私たち自身の意識の中の現象である」とでも説明したらいい
のでしょうかね?まぁ確かにそのような解釈が出来るんです
ね。
それは私が155スレで語るときに意図した内容ではないの
ですが、確かに大変興味深いものの見方だと思います。
そしてこの見方が先ほど申しました近頃気になる私の問題意
識と被るし、しばらくお休みしている仁義礼智信の礼の問題
そのもののような気がします。
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そこで私の考えもいろいろとご披露したいところなんですが、
先ほども申しましたようにまだ済んでない作業が多くて、書
き込みの時間が取れそうにないんですね。
ちょくちょく顔を出そうとは思うんですが引き続き皆さんの
お話を聞かせて頂ければ幸いです。
では今日は失礼します。
それと、生き霊さん、まだいらっしゃいますか?
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こんにちは。
外側から眺める、なんて難しそうですよね。凄い!
いまの私は、そこまで挑戦できないなあ。
アラサーさん。お疲れになりませんように。
生き霊さんについては、指摘されただけなので、自分ではわからないのです。ただ、最初は脅威に感じて粗塩を撒いたりしていたのですが、こちらでお話させて頂いてたら、アホらしくなってやめました。
それよりも、いまの生活を楽しみつつ、自分のしたい事に突進している日々です。
皆さんそれぞれ、少しずつ異なる考え方なのが読んでいて興味深いです。普段はこういう深い話を聞かせてもらえる場所がないので、とても有難いです。
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存在は愛・・・うーん、難しいです。
存在、意識、認識。
皆さんのお考え、私も知りたいです。
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ま、目先を変えてみるか。
存在=意識ってのを、他で該当しそうなのを考えてみると。
物質=エネルギーに近いわな。
エネルギーが意識を持っているのか、意識がエネルギーなのか、というところか。
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エネルギーってのはなにか。
必ず変化するもの。
長い間保持できるか、一瞬で変化するのか、の違いはあるが。
物質すらもエネルギーの一形態にしか過ぎない。
うーん。
意識が、どのレベルでってのがね
素粒子なのか、原子なのか、分子なのか。
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電気の力が最も近いと考えるべきか。
脳や神経のは微弱な電気が観測されるから。
だが、そうなるとだな。
電気が流れてないと意識は存在していないのか、っていう。
それからいけば、
分子レベルでの電子の流れや動きに着目するしかないか。
あとは、155も言うように「どの程度まで集合すれば意識が芽生えるのか」だな。
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ま、測定や実証は難しいな。
推論による、お遊びだとこれが限界かw
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ちょっと見てないうちにお話がどんどん進んでいて付いて行けてません
うちも家族が亡くなりお葬式に突入してます。
ファブリーズが除霊にどれだけ効くのか、祭壇周りにガンガン振り撒いて
斎場のトイレも怖くて入りにくかったので、ガンガン撒いて見ました
なんだかスッキリ感が出て、除霊出来た様な爽やかさです。
霊安室が一番きつかったから、あそこで撒いて見たかったかも
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ファブリーズ、生霊には効きませんかね?
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こんばんは。
>>784
生き霊の件ですけど、多分大丈夫だと思います。
貴方自身が明るい心でご自分の人生に取り組んでいかれること
が大切ですね。
この件は今回のお題ですのでまた改めて詳しく述べさせて頂き
ます。
ファブリーズは生き霊にはどうなんでしょうかね?いわゆる霊
とは存在原理が違いますので。
ファブリーズの効果は電子であると言われているようですね。
煙でいぶして浄化するのと同じ浄化の原理だと思います。
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実は意識と電気エネルギーは非常に強い関係があります。
いわゆる念力、等と言われる力は電気現象を引き起こします。
非常に念力の強い念の力の集中した場では電気的事故が起こ
りやすいです。
霊現象というのは念の力の現象化と考えて良いと思うのです
が要は霊的な力や念力的な力が強く働く場所では電気的な問
題、例えばスイッチングの異常とか、よくあるのがPCがぶ
っ壊れるとかが起こりやすいです。
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私も何度かそうした電気的な異常現象を体験しました。
最も印象的な事件は、例の韓国のセウォル号沈没事故の前後
の出来事でした。早朝の6時頃だったと思いますが海底地震
計が誤作動して、東南海地震の地震警報を出した事故があり
ました。
あれも実はこうした念力的な現象でした。当時、かなりきつ
い霊的なといいますか念力的な戦闘状態で、集団であちこち
を攻撃しているグループがありました。
そうした攻撃のとばっちりのエネルギーが電流を生じて海底
地震計を誤作動させたようです。
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戦闘と申しましても、精神世界における戦争ですが日本側は
原則として専守防衛の原則を守っておりました。結局最終的
には彼らは自分たちのエネルギーの反作用現象を受けている
ようです。
さて今回、物質世界でも面倒なことが持ち上がっております
ね。今回の事件は軍事的な知識がある立場からすれば意図的
な行為であることは明らかで、先方の弁解が全く弁解になっ
ておりません。素直に謝れば良かったのですが、残念ながら
そうではありませんでした。
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歴史には後から振り返ってみると、ああ、あの時が分岐点だ
ったのだ、と思えるような出来事がたくさんございます。
今回の韓国軍の行為と、その後の相手を軽く見た弁明は残念
ながら決定的な選択になってしまったように思われます。
進むべき道ではない方の道を選択してしまったということで
す。その結果は彼らにとって今後回復することが出来ない事
態を引き起こすのではないでしょうか。
ちょっと場違いにお感じになるかもしれませんが、必要です
のでこで警告しておきます。
では失礼。
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ふむ。
ぼかしたいみたいだから、曖昧に書くかね。
米にとってみれば、この事態は上と下が既に意思統一されてる一例と見なされるのではないか。
単なる一個人や現場の判断でできる枠を越えているのではないか、ということ。
米による合同演目が中止になったのも情報漏洩を防ぐためたとも言われてるし。
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軍事は正直わからん。
それに一般国民にはどうにもできないからね。
独立でもするかい?
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もし万物に意識があるのならば、さいきん
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失敬。
細菌にも意識があり、たとえば目に見えないサイズの微粒子や機械にもあるのだろうねえ。
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>>792
こんばんは。
明るい心で、って、やはり大事なんですね。
有難うございます。
元来は能天気だから、このまま前を向くことにします。
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霊的なエネルギーが電気に作用するとして、それは異常や故障程度のものなのでしょうか。
自分のPCと仲良くしていれば、何か創作するときに実力以上のものが出来上がるかしら、なんて虫が良すぎるかな。
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警告、って珍しくないですか?
以下、教育コーナーで訊くべきだったらごめんなさい。
アラサーさんはこれから受験期で、ますますお忙しくなりますよね。
教え子が男子だと心配になることってありますか。
うちは受験生がいて、志望に届かなかったら再挑戦するつもりみたいですが、浪人の時期に事態が大きく動いたら、赤い紙が来ちゃうのでは、なんて余計なことを考えてしまいます。身勝手ですが。
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理論上は壊す以外にもありそう
機械やシステム、プログラムの意思を汲んで通じあったり
無作為抽出を操作できたり読めたり
付随的に死にかけの機械が復活したり
彼らと種を越えた恋愛が成立したりね
そんな作品があったよね
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こんにちは。
今から外出なんですがその前に少しだけ。
>>803
警告というのは、「日本に戦争が起こるよ」って警告ではあ
りません。
まず、もし戦争になっても現代の戦争では赤紙が来るなどと
いうことは、少なくとも日本ではありません。なぜなら近代
戦では兵士は専門職なんです。素人の兵隊では使い道がない
ばかりかかえって面倒見るのに手間がかかって足を引っ張ら
れます。
ですから現代の先進国では概ね徴兵制は廃止されております。
志願兵で編成されてるんですね。
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>>805 は155名前忘れ。
ちょっと異例の書き込みですのでご心配をおかけしましたが
レス796は今後このスレを読むことになるであろう、半島系、
若しくは半島の意見に左右されがちな人々への警告として残
しておいたものです。
今後日本が戦争若しくは紛争に巻き込まれることがあるかど
うかは微妙なところがありますが、もしあったとしても一般
の方は心配するようなことは起こらないと思います。
そうした場合のために、きちんと備えがあるからです。
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ですから803氏は安心してご子息の受験のサポートをなさ
って頂ければと思います。
で、教え子に心配にならないかって事なんですが、別の意味
で男子も女子も心配しております。
えー、受験生をお持ちのご父兄にはまことに申し上げにくい
んですが、今の子学力なさ過ぎですねぇ。
学力の無い同士で競うので、進学の難易度は別に高くなくて
みんな推薦で進学してしまいます。
最近はセンター試験がほぼ国公立(もしくはそれに並ぶ難関
私立大学)受験生専用になってしまってガチで勉強してる子
は以前より少ないです。
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これ、国家全体で多大な教育費、エネルギーが有効に使われ
ずに垂れ流されているれてるように私には見えますね。国損
です。
日本という共同体の、将来の不安要因です。
その原因は、子供達が目的意識を持てないことだと思います。
例えば能力を超える内容を押しつけられて「数学の勉強なん
か何の役に立つの!今後絶対一生使うことないじゃない!」
っていう子供達の悲痛な叫び(苦しみ)にその任にある立場
の大人達がまったく向き合えてないのが問題ではないでしょ
うか?
では失礼。
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昔のような、画一的な集団教育が通用しなくなっているだけの話に思うけれどね。学校教員も余裕がないし。
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こんにちは。
私は少し違う見方をしております。
それは知的な方が教育について出しゃばって活躍しすぎたか
らではないか?と考えております。
つまり、大変知的な方々が教育改革を実行しちゃった。その
結果、知能に極めて優れた子供達にとっては今の内容でも良
いんだけど、大多数の子供さんにとっては苦痛でしかない教
科書、教育システムになっているのではないか、ということ
です。
これは現代の子供の教科書を読んで見ると同意いただけるだ
ろうと思うんです。
-
それはね、もう小学校の算数の教科書なんかにはっきり出て
いるんですけど、内容がなんでこんなに理屈っぽいの?わか
りにくいの?大人が読んでも何言いたくてこんな話をしてる
のか、なにを求めてるのかよく分からん、てな内容がそこに
もここにも書かれております。
確かに大人の頭で理論的によく考えてみますと見事に筋の通
った内容で書かれてるんですが、読んでも直感的に理解でき
にくいのです。
一度子供さんの教科書に目を通されてみると、割と同意頂け
るんじゃないでしょうか?
-
同意もなにも右と左を辞書で引いたのと同じですよね。
何にしても知能の成長、理解の速度やそれぞれの分かりやすさには寄り添えてない現状があり、その原因はひとつは膨大化した事務作業等による教員の忙しさに、もうひとつは賃金の低さと増税により共働きを余儀なくされ経済的にも時間的にも余裕のない親の疲弊に、さらに集団教育にも限界があるのです。
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個別塾に通えばいいかもしれません。家庭教師を雇えばいいかもしれません。しかし無駄を嘆くのならばそれでは本末転倒。ここの問題は捨て置けないはずです。
集団生活の意義は認めますので週一度でも集まればよいでしょうが、同じ学年というだけで理解力を同じレベルで求めること自体が無意味です。
習熟度別も科目により実施されていますが不完全ですし、義務教育が年数で切られていることにも疑問を禁じ得ませんね。
その後の高等教育にも響き、一般常識に分類されるのならばこの初等教育こそ完全修了するまで卒業させてはいけないですね。
また、集団教育をそれでも維持するのなら現場の教員の不足も気になるところであり、増員すると共に、長時間勤務の抑制を考えるなら担任二交替制も必要であり、ひとクラスの人数も学年問わず20人までにすべきでしょう。
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なお、教科書については、著者の分かりやすいは教員の分かりやすいではないし、私の分かりやすいでもあなたの分かりやすいでもない。
ただし、著者がみんなに分かりやすいと推察する内容は誰にもわからない可能性があります。
さらに、右と左を辞書引きされたことはありますか?初歩の初歩の説明の難しさはここに凝縮されていると言えます。
辞書はそうもいきませんが、下手な説明は必要ないのかもしれません。
教科書はもっとシンプルでいいというのであればそこは同意です。
-
こんにちは。
教育については、私の仕事でもありますので、感じることは
いっぱいあるんです。
私がとくに疑問に思うのは、世の中には教育法とかいっぱい
研究され、また次々と新しい学習法は今後も世に出て行くの
だろうなと思うのですが、その割には社会全体として成果が
上がっているようには見えない点です。
世の中には昔からどうすれば成績が上がるのかという研究と
いう研究は多います。しかし逆の視点で、勉強が出来ないと
はどういうことか、なぜ勉強は出来ないのか?という研究は
どうなんでしょう?
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私は教育研究についてはさっぱりで知識は無いのですが、生
徒の現状や生徒を通して覗(うかが)う学校現場の情報から
判断する限り、そういう研究はあまりないのではないかと思
っております。
なぜなら、学校教育が一般生徒(六割ぐらいの生徒)にとっ
てはあまりにも過大な要求をしているようにしか思えないん
です。
それが教科書を読んでの素直な感想なんですね。
文章が難しすぎる。生徒の情報処理能力を超えている、って
感じるんです。
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生徒を指導してきての経験から、私は言語能力について一つ
の見解を持つようになりました。
それは抽象的な言語の使用能力が高まらないと学習は行き詰
まる、ということです。
抽象的な言語能力が獲得されない状態では学習は言語や手続
きの記憶だけに止まりやすいです。つまりやり方だけ覚える、
という学習方法です。これやりますと速攻で点数は獲得でき
ます。問題のパターンを覚えてそのパターンに当てはめて問
題を解く。ひたすら繰り返し学習ですね。
ところが問題があります。パターンが変わると得点できない。
-
もう一つ、問題がある。それは次から次へとパターンがある
ので無数にあるパターンに記憶力が対応できない。覚えきれ
ないので少し前にやったことは忘れてしまう。新しいことを
勉強するたびに次から次へと忘れるので、ちょっと前の問題
が出るとテストはボロボロになっちゃう。結果自己嫌悪。す
ると自己嫌悪させるために勉強してる現実、ってどうなの?
勉強嫌い!って負の循環に入って行きやすい。
こういう深刻な問題があって、実際のところなかなか学習し
ても得点が向上しない。
-
集団としての生徒の学力が向上しないと大変です。まず卒業
できない。裸の学力を見てみると卒業できない生徒がボロボ
ロ出てしまう。それは大変!なんとかしないと!
次にやはり教える側、それを管理する側、つまり教師や管理
職の教頭・校長それに教育委員会などの立場の人が無能扱い
されてしまう。それは大変なんとかしないと!
さらに大問題は集団としての将来です。これで日本の将来大
丈夫か?という大問題。
これらには二つの方向から対応がとられている、と見えます。
まず上からの対応である教育改革ですね。
-
教育方針の改革。そしてこまめな教科書改訂。
しかしその成果の教科書読むと、…む、むつかしい…。なん
ですよね。
深く考えてない単純な感想でいえば、なんか昔のシンプルな
教科書の方がよかったんじゃないか…?
もう一つの対応は現場レベルです。やはり様々な対応は全て
現場出処理しなければならないい。でもこれ、結構無理ゲー
押しつけられてる感がある。
812氏の言うように現場は次次と仕事が増えて大変な状況
らしい。みんな知ってると思うけど先生ってサビ残とか多い
ですよね。
-
そこで超現実対応する。生徒の点数上げる裏技いろいろです
よ。
あ、時間ですので後ほど。
-
こんばんは。
さて、どのような超対応がなされているかといいますと、一
つは下駄履き方式です。
卒業には定期試験で基準以上の点数をとって単位を獲得する
必要があります。しかしその点数に満たない生徒には、宿題
などの提出物、欠点課題の提出物を評価して得点を加算し、
基準点に到達させる。一般的な方法ですね。
ところがそういう温情措置があるにしても、それが1クラス
数人レベルというならわかります。しかし、もし基準点に達
しない生徒が大量に出るとするとどうしますか?
-
これはもう「温情」などと言っていられない。根本的な対応
が必要とされるようになるのです。
そして現状はまさにそうだということですね。
そうしますと教員側に出来る対応は、まずもっと勉強させな
くちゃ、ってなりませんか?頑張るしかないですね。そこで
先生方頑張って補習をします。夏休み?何それおいしいの?
って前記補習に後期補習。結局実際の休みは10日ほど。
土曜日?ああこれも補習できるやん。土曜午前中補習。まだ
まだ時間が足りない。夕方も補習だ…。
-
まぁ皆さんよくご存じの状況ですよ。そこまでしてさて成績
が上がったか。残念ながら…としか言えない。
「残念ながら、そこまでしないと現在の学力を維持できない
んです」
なんてね。
どのくらいの学力かというと、本当に残念なことなんですけ
ど、おそらく現代日本の高校生の約三分の一は九九の割り算
が不自由なのではないか?と疑うくらいに残念なんです。
小学校じゃないんだから、って思うんですけど、本当にもう
全員ごちゃ混ぜにして実力を問うとそんなものだと思う。ス
ッと答えが出てこないですね。
-
そうすると、分数がなかなか分からなくなって、もうこのあ
たりで数学の学力が停止している人たちがたくさんいる。ま
ず基本的な計算能力、読み書きソロバンの、ソロバンの部分
で問題抱えたままの人たちがもの凄い数になってしまってい
る、という現実があります。
ところが学校の勉強はそんなことはお構いなしにどんどん先
に進んで行きます。そして小学校の時点で教科書はもうかな
り抽象的な文章で物事を説明しようとします。さらに大量の
知識をも提示して来るんですね。
-
ですから中学校ですでにもう学習が未消化のままの生徒がす
ごく多いです。だから、彼らは勉強しても面白くないわけで
すよ。
分からないことをひたすらやらされて暗記しなければいけな
いなんて苦痛以外の何物でもないじゃないですか。でも状況
からしていまさら九九のやり直しなんて出来ないんですよ。
だって毎日部活も忙しいし、大量の宿題もこなさないといけ
ないです。
でも九九も怪しい。問題文なんかもよく分からなかったりす
る。そんな中で宿題しろったってねぇ。
-
はっきり言えば、真面目に勉強して宿題片付けようとすると
絶対夜寝る時間が無くなっちゃう。考えても分からない。調
べても分からない。
考えたら分かる、調べたらわかる、ガチで毎日の宿題こなせ
るよって学力の生徒さんは、中学段階ですでに一割いるかい
ないか程度らしい。はっきり言って将来国立大学上位校、私
立大学上位校に進学するような生徒さんしかそれだけの学力
は無いようなんですね。
ですから大半の生徒というか、ほぼ全員が宿題は答えを写す
作業となってしまっております。
-
いつの頃からか学校の宿題はプリントではなく教科書とおそ
ろいの市販の問題集になり、それにはちゃんと解答がついて
るんですね。ですから生徒は解答を写して、現代日本ではそ
の解答をひたすら写す作業をもって勉強した、ということに
なってしまっております。
これ勉強詐欺じゃないですか?
意地悪な言い方をすると、先生方の勉強させた実績作りなん
じゃないかい?分厚い解答書き写し冊子をドンと積んでさ、
ほら、学校ではちゃんとこんなに生徒に勉強させてますぜっ
て言い訳なんじゃぁないの?と。
-
すっごく意地悪な言い方をするとね、「学校ではこんなにも
努力してお子さんを指導して勉強させたけど、うーん残念な
がら成績は良くないね。私たちはさ、もうできるだけのこと
はやったよ。ほら、ご覧の通り」ドーン。
ってことなんじゃないの?
まぁ誰に対する言い訳かっていうと、親御さんに対してとは
限りません。文部省とか、県とか、市とか…。
まず何よりも自分自身に対してなのかもしれないですね。
だってこの低学力どうすりゃ良いんだい?やれることはやっ
たよ?ってなりませんか?教師の立場に立てば。
-
わかりやすいので数学を例に出して私の体験からのお話をし
てるんですが、ソロバンだけじゃありません。読み書きも似
たような問題があるんです。書けない、読めない、なんです
ね。
要はいくら勉強させても、見かけ上はともかく本当のところ
は学力が上がってない、って現実がある。そして多数の生徒
の定期試験の点数が大変なことになりかねない。すでにやれ
ることは全てやった。うーんこれをなんとか救うには…です
よ。
ぶっちゃけもう問題を事前に練習させておく、または教える
しかないですね。
-
そこで試験前に授業でやるとか、問題集の範囲指定をしてそ
こからごっそり出すとか、最悪数枚の対策プリントと称する
プリントを用意して、そのプリント覚えておけばすべて解け
る、とかいう対応をとるわけです。
これが私の言う現場の超対応でして、全て暗記で解決しる、
という方向にしか行きようがない。
でともかくこれでなんとか高校普通に卒業できるし、内申の
点数もちゃんとつけることができるので、あとは人柄で大学
に推薦入学できちゃう、っていうシステムが出来上がった。
-
でもこれ私に言わせると教育詐欺です。
国損です。
子供の将来、日本の将来を危うくし、大きな負債を今作って
ます。
考えてみて下さい。日本の宝は人じゃないですか。教育じゃ
ないですか。それが行き詰まって、誰も真剣にこの問題に取
り組もうとせずに放置していればどんな未来が待っているか。
現場での個々の取り組みを問題にしているのではありません。
現在のあり方を作った教育政策、教育システムに根本的な見
直しがいるんじゃないかってことです。
-
一口に学力と申しましてもいろいろな学力があるので単純な
比較は出来にくいのですが、読み書きソロバンという基礎学
力に関して言えば40年近く前に現在の学力との逆転が起こ
っているようです。この辺で何かあったのかな?と少し疑問
に思っております。
教育について長々と意見を述べるのをお許し下さい。
812(3、4)氏のご指摘にはすごく重要な論点が指摘さ
れているんですね。遠からずそうした現実問題をも詳しく取
り上げて皆さんと議論することになると思います。
-
さてこうした教育システムの見直しは自治体レベルでの対応
が始まっているようです。
その一つの形が大阪のエンパワメントスクールですね。
高校なんですが、小学・中学の学び直しをするようです。
ただこれは学習障害などの発達障害生徒に対する対応という
考え方をしているようですね。
そのへんはちょっと違うんじゃないのと疑問なんですけど、
学び直しというと従来の発想では抵抗が大き過ぎて福祉の思
想が入らないと設立が難しかったのかもしれません。
現実的な教育改革に発展してゆくと良いですね。
-
実は私、福祉に関しては関心を持っております。それは福祉
の思想の中にノーマライゼーションという考え方があります。
これは障害者も社会の一員として施設などに隔離すること無
くできるだけ一緒に生きるような社会を作ってゆこうという
ような趣旨の考えです。
これは一種のユートピア思想だと思うんです。そして日本が
いますでに超高齢化社会に突入しているわけなんですけど、
福祉の考え方はユートピア社会への扉を開く思想の一つであ
ると評価してるんです。
-
ですから高校教育の分野でこうした福祉寄りの対応として高
校教育の改革の兆しのような動きが出てきたってことを大変
面白いなと思っております。本来教育の本道の立場の筋から
こうした動きが生まれて来ても良かったんですね。でもそう
なってない。福祉の分野から出てきた。これ、教育の任にあ
る者と福祉の任にある者の、真摯(しんし)さの差じゃない
かしら?って疑います。教育の任に当たる者があまりにも表
面的な思考に片寄って本質を見失ってるんじゃないか?って
疑うんです。
-
本質は何なのか?何を一番大切に考えてゆかなければならな
いのか?という考えは様々なんです。それで政策当局者たち、
あるいは教育界の人々は学力を中心に考えたと思うんです。
どうすれば学力を高められるか?学力の向上を目的としたと
思うんですね。
ところが学力を向上させようとした政策がことごとく上手く
いっていない。そして私の知る限りは、多くの生徒にとって
学校の勉強が苦しく嫌なものになってしまっている。苦しく
ても我慢して乗り越えて向上しようてな前向きなものになっ
ていない。
-
仁義礼智信の話でいえば、「智」というよりはまぁ「知」寄
りの方なんですが、その「知」を目標とした教育政策は、ご
く一部の、全体の一割ほどの人たちにとってはそれほど悪く
はないんだけど、残りの大多数の生徒を苦しめる結果になっ
ている。
一方福祉寄りの思想から生まれた「エンパワメントスクール」
はこれはいわば「仁」の心から出た教育政策じゃないでしょ
うかね。これは多くの生徒にやり直すチャンスを与えている。
教育の価値観、目標の違いが二つの結果の違いを生んでいる
と思います。
-
現実社会は「知」や「利」を中心とする価値観によって動か
されているんですが、それでどれだけ社会全体が豊かになっ
たか?表面豊かになったようにみえて現代日本の中学生・高
校生の多くのように内面ストレスだらけだったりしますね。
また恵まれない集団・社会にあっては戦争や弾圧の憂き目に
遭って苦しんでいたりします。
これを「愛」や「慈悲」や「仁」の価値観に社会全体をスイ
ッチしたらどうか?仁義礼智信でいいますと、まず「礼」だ
ったり「義」が先だろうと言うことになるようですが。
-
そのほうがずっとストレスが少なくて、幸福感があって、実
は社会的活力もみなぎって、勢いよく発明発見がポンポン湧
いて出て、経済的にも発展してゆくんじゃないか?ぶっちゃ
けて言うとそういう事なんですね。それをもってユートピア
という事になるんじゃないかと。
こういうと簡単そうに思えるんですけど、現実はなかなか一
筋縄ではいかないところがあります。だって一口に愛といっ
ても人によって意識するものが全然違ってたりしますね。
-
現代社会が「知」で動く、あるいはもっと「利」で動いてい
るのはどうしてか、お考えになったことがございますか?
私はそれは、「愛」や「慈悲」や「仁」と比べますと「知」
のほうが断然わかりやすいからだと思います。愛のほうがわ
かりやすかったらみんな愛で動きますって。
例えば遠い将来、「愛のメーター」みたいなのが発明されま
すとね、貯金一億円だけど「愛メーター」数値-100の人
より、貯金は20万円で「愛メーター」数値200の人の方
がずっと素敵!って女性からモテモテになるんじゃないかな?
-
知はわかりやすい。だって難しい言葉が出てくるしテストの
点数になって出てきて学歴になってついて回る。実にわかり
やすい。
利はもっとわかりやすい。札束だからね、見えるし触れるし
買い物できるし飯食える。
でも愛は分からん。分かったような気がするけど実は分かっ
てなかったとすぐわかる。そんな不安定だし気がするだけで
見えんもん。
慈悲はもっとわからへん。
そら社会の基準にはならへんですわ。
そのわかりにくい愛や慈悲を誰でもわかるようにしないと知
から愛へ、社会の転換なんて出来ない道理です。
-
従って第十グループとしての私たちの仕事の一つは愛とは何
か、これを私や皆さんやで語り合い論じ合う。そして明らか
にしてゆく。非常に抽象的な「愛」という言葉を、誰もが具
体的にイメージしながら自由に使える言葉に変えてゆく、そ
のような作業になるかと思われます。
第二には愛には様々な愛の諸相があるわけですが、その諸々
の愛を具体的な現実世界に落とし込んだときにどのような姿
となって具現化してゆけるか、現実化しうるのか検討してゆ
く、ということになるのではないでしょうか。
-
例えばいま教育について私の知っているところを語ったわけ
ですが、愛の理念から見た教育のあり方・姿はどうか。経済
を愛の理念からみるとどうあり得るのか?あるいは文化や芸
術はどうか?おそらく最も関心が高いのは人間愛、人との関
わりの部分だと思いますが、異性愛、親子の関係、友人・知
人との関係、こうしたものごとの姿を愛の理念から見てゆく
ことがスゴク大切になるのではないか。それは次の世代の人
たちが具体的にユートピア社会の建設に入らないといけない
のですがその下ごしらえをする作業ですね。
-
こういう愛のあり方を追求する作業のことを「義を求める」
というようです。
まぁ歴史的にはもう少し狭い意味で使っていたようですが、
本質的な意味は「愛のあり方の追求」ということで良いよう
です。
そうしますと「仁」っていうのは「愛の完成」って意味なん
でしょうかね?
で、「礼」の本質的な意味は「意識空間の設定」ということ
のようです。もちろん孔子様が使われていた当時はそんな言
い方をしてもワケワカメなんで、もと狭い意味で使われてい
たようですがエネルギー的な観点からは「設定」なんですね。
-
「礼」=設定 についてはあらためて詳しく論じたいと思う
のですが私たちにはそれぞれの意識空間とでも呼ぶべき思考
の空間がございます。よく観察しますと私たちは自分の意識
空間を無意識に次々と設定変更しているのがわかります。
それは自らの触れる感覚の刺激によって変えているわけです。
その設定変更を生じさせる最も大きいエネルギーは言霊エネ
ルギー、つまり言葉なんですね。
私たちは人と話すことで次々と意識エネルギーの空間、即ち
意識空間の設定を無意識的に変更していってしまう。
-
その設定によって様々な現象を招き、様々な現実を作り出し
ていってしまっている、ということができます。
そこで調和した現実を作るためには設定を整えることが必要
になるわけですね。このための方法が「礼」であります。
従って意識エネルギー的な観点から言えば「礼」は一種の魔
法の術であるともいえると思いますよ。そしてこの「礼」の
意味を知り、研究すれば「礼」は非常に強力なユートピア実
現の手段となるのではないでしょうか。
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さてこのようにして愛のあり方を追求すべきであるというこ
となんですが、その愛という理念を体現していくのは吾であ
り、汝であり、万物個々の存在であるわけです。ですからそ
もそも存在とは何か?という質問は何度も自分に繰り返して
みる価値があると思います。「それは吾とは何か」、という
止むことの無い自問そのものでもあると思います。
そして私自身は存在は意識である、というひとまずの納得を
得たのですが、だからといってこの自問が止むわけもありま
せん。一つの納得はより深い納得を求めるものなのです。
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吾とは何か?存在とは何か?意識とは何か?
174氏や諸氏のお考えも聞けたので、次の機会には現時点
での私の考えをご披露し、また改めて皆様の意見も伺えれば
と思います。
一時間ほどの投稿のつもりでいたのですが夜が明けそうにな
ってしまいましたね。
では失礼いたします。
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んー。
長い、長すぎるというか、多すぎるw
年末進行で疲れ切った脳には負担が大きすぎる。
ま、急ぐ旅じゃねーし。
来年も、よろしくね。
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んー。
長い、長すぎるというか、多すぎるw
年末進行で疲れ切った脳には負担が大きすぎる。
ま、急ぐ旅じゃねーし。
来年も、よろしくね。
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大事な話は二度、かな?w
皆様よいお年を。
来年もよろしく。
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今年はまた155の話が読めて嬉しかったよ。ただ情報が多すぎかな。ポイントがぼやける。主題は「愛と感謝」じゃなかったっけ? 何について読んでるのか忘れてしまう。 個人的に知りたいのは意識エネルギーだけどね。なぜ思うだけで伝わるのか。意図するだけで変わるのか。スレのどこかで触れてたと思うけど埋もれてしまって探せないw
間もなく年明けだというのにここ覗きに来ちゃうあたり自分的にも引っかかってるんだろうな。
155も174氏もみんなも良いお年をね〜。また来年。
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アラサーさんや皆さんと、またご一緒できて、私も嬉しかった1人です。
今年も宜しくお願いします。
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皆様新年おめでとうございます。
今年が皆様にとっても、そして私自身にとっても実り多く、
さらに一歩前進する一年であること。
それをすでに私は知っており、そして一つ一つ周囲の人々と
ともに、そして皆さんとも共に具現化してゆく行動の一年、
一年であることをともに祝福したいと思います。
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エネルギー的に申しますと信念のご挨拶は上のようになりま
すね。
書いていて思ったんですが、現代日本語というか、日本語の
語法のなかにエネルギー的にうまくマッチする表現が出てこ
ないんですね。それで祝福なんていう西洋風の言葉が出てき
てしまうのは、まぁ現時点としてはやむを得ないのかな、と
思います。いずれエネルギー的な視点からの日本語の表現と
しても洗練されたものが出てくるようになるのだろうとは思
います。
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常識的に申しますと現在我が家は喪中でありますのであまりこ
のような挨拶は控えるべきだ、という議論も出てくると思うの
ですが、私はそれは必要ないと思っております。
と申しますのは、喪中は…という考え方は死の汚れという概念
から出てきているのと、もう一つは死んだ方の立場に立てば、
自分が居ないのに地上でお祝いされてると腹が立つんじゃない
か?という気遣いからだろうと思うのです。しかしどれも本質
的な見地からすれば的外れなのではないでしょうか。
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まず死の汚れ論なんですが、これは死に対する恐怖心が根底
にあります。もう一つはそうした恐怖心をベースとした霊的
な諸問題ですね。
しかし死は恐怖すべきものかどうかという根本的な問題があ
るんですね。よく観察してみると、生命は成長と収縮を繰り
返すのが自然のあり方ですので、一人の人間の生命現象とし
て誕生があり、もの凄い同化力で物質を引き寄せて成長する
時期があり、小さな拡大と収縮を繰り返した後最終的に凝縮
して死を迎える、というサイクルは極めて自然な現象です。
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そしてこのサイクルが魂、意識の進化発展を保障しているの
ですから、本来はなんら忌むべきものではないはずです。
死はあの世とこの世という複眼的な視点で見ればいわば一つ
の学校の卒業に過ぎず、新たな新天地での学習や業務の生活
が始まるわけですから、本来は、残った者にとっては寂しく
はなるけれども前途を祝するめでたい気持ち見送るのが適切
ではないかということになりますね。
そしてそれは残された者にとってもエネルギー関係が変わっ
てきますので同様に新たな出発となりますね。
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ですから死の汚れ論も天上の人への気遣い論にしても、どち
らも真実からは離れた思考であると思います。
むしろ必要なのは去った者も残された者も、お互いに新しい
年を迎えたのですから、この一年を豊かな一年にしてゆくぞ
と言う決意、意気込みが大切ではないでしょうか。
ですから本来死は恐怖心を持つべきものではありませんので
いずれ霊的な問題も消滅してゆくでしょう。
まぁ、天上では無くて天井のあたりに去ったはずの者がいた
ら、そりゃ気遣いが必要ですけどね。ちゃんと天上にお送り
しなければなりません。
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さて、そのように死に対する考え方が変わって参りますと、
やがて葬礼についての考え方や感覚も大きく変わってくると
思います。
しめやかであっても明るい楽しく感謝に満ちた葬礼の
あり方がだんだんと模索されてくるのだろうと思います。
もちろん現在でもそのような葬礼は一部にあるようですね。
もちろん死に方にもいろいろありますので残される者の想い
も様々で、あまり画一的なことは言えないわけですが、全体
としてはそのような傾向になるのではないでしょうか。
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さてこれから私はしばらく存在と意識に関する現時点での私
自身の考えを整理してお話ししたいと思っております。
ただやはり現在の私が到った考えには前提となるお話がいく
つかございますので、やはりそれに触れておかないわけには
参りません。
それで最初に触れておきたいのは「気」についての考えなん
です。853氏がご興味をお持ちだという「意識エネルギー」
の問題なんですね。
私は現在毎日意識エネルギーの活用に取り組んでおります。
これはちょっと特殊なことなのかといいますと、そうではあ
りません。
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意識エネルギーの活用と申しますとスゴク特殊な事のように
お感じになると思われますが、皆さん日常でいつもやってお
られることです。
どのくらい日常かと申しますともうあまりにも日常的すぎて
まったく意識できずに自分自身でよく分からないくらいに日
常的にお使いなんですね。
しかしこれを意識して活用されている方となると意外と少な
い。
そして意外とDQNさんなんかはこれを半分意識して活用
(?)されたりしておられる。650氏についた生き霊さん
も、意識エネルギーで生じているのです。
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例えば私が生き霊を作ろうと思いますと割と簡単に作れると
思います。タルパみたいなものかと考える人も居ると思いま
すが、まあその前段階ってでも言いましょうかね、理論的に
は。でも作りません。
後処理が大変だからです。
しかしそれと似たような現象はオタクさんがお得意だ、って
言ってる方がいらっしゃいますね。それは猫姫様です。猫姫
様が猫から聞いた話として紹介して下さっております。
私が最初にその話を読んだときは意味がよく分かりませんで
した。
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しかし今は解説できるくらいよく意味がわかります。
話は変わるけど、猫姫様のブログって本当に意味が分かりに
くいんですよ。原因はMAHAOちゃんがちょっと文章下手
なところがあるんだなんだね(失礼!)
だから読んで気持ち悪いと感じたりするんだね。私も最初は
言葉遣いや文章の意味が分からなくって、気持ち悪いなって
思いましたが、読めるようになってみると本当はもの凄く価
値のあるブログです。
もうね、私がいちいち解説付けるか、書き直してあげて世に
出したいくらいですね。
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さて、私三ヶ日は自宅を不在にしますので多分書き込みはほ
とんど出来ません。続きは三日晩以降に。
それはさておき、174氏が最近変わっちゃったように感じ
るんですけど。前は見えない世界信じたいけど信じざるを得
ない理由カモーン、だったと思うんだけど。
今はもういいや、信じてもいいのかな、みたいな…。
では失礼。
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>>863
ひいっ、後処理って、どう大変なのですか。
作成した本人のもとに戻ってくれると理想だなあ。
あ、ちなみに650です。
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あけおめ、と。
見えないほうが良いものが見えたことくらいは、あるのよ。
問題なのは、脳の誤作動だったのか、それとも居やがるのかってのことでね。
居やがるほうだった場合、対処法を知らなきゃでしょ。
となると、既存の宗教やスピリチュアル(と一括りにしちゃっていいのかは知らんが)が、言ってたことを検証せにゃ。
ま、危険ならば近づかなきゃ良いけど。
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>>865
あのブログの気持ち悪さは決して文章だけではないんだけどね。
気持ち悪いというあなたこそが魔の者だ!と言うならそれでもいい。
単純に合わないと理解してくれてもいい。ご自由に。
カルシウムが必要だとしてさ、様々な身近な食材で取れるよね。魚も乳製品も大豆製品もあるわけで。
何もわざわざ手に入りにくいバオバブの実を食べなくてもいいし、好き嫌いの分かれる蝉の幼虫なんてよほどの事情でもない限り必要ない。
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ああ、前後逆になった。
本年もよろしく。
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本物なのかどうかはわからないけれど、有名なスピ系のブログやツイッターって、
どうしてその文章???って疑問に思うのが多いのは何故でしょうね。
イライラして途中で断念しちゃう。
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皆さま、あけおめ〜
私も喪中なのに年越し蕎麦とかお雑煮とか作ってる場合か?
もっと悲しみを噛み締めないといけないんじゃ無いか?と思うのですが
あっけらかんとしております。
魂が抜ける瞬間には立ち会えなかったのですが、
死んだら天井から皆んなを見下ろすんですよね?
皆んなで天井に向かってサヨナラしときました。
天井から天上にはいつ行くんですかね?
その前に、病室で死んで霊安室とか葬儀場とか移動するのに
抜けた魂は付いて行けるのか?心配になりました。
ファブリーズしたから消えちゃったかも!
輪廻転生でいつかまた会える時は、より良い関係でありますように〜
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あけおめでござる。
今年もよろしく
-
こんばんは。
>>867
生き霊とかタルパとか、とんでもない不思議なことのように
思われるかもしれないですけど、実際はそうでもありません。
理論的に考えましても、案外簡単にこうした現象は起こって
しまう、と言えるのです。
どんな理論なんだよ?ってなると思うのですが、それが私が
お話ししたい「存在とは何か」という問題なんですね。
ところが作るのは良いのですが、その後はどうするか?とい
う視点が、こういうことに興味を持つ人には欠けているよな
ぁと私は思います。
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だって人間だってそうじゃありませんか。チョチョイと男女
で合体しますと一年もたたずに完成しちゃいます。
しかし作るのは簡単ですが、一人でも作りますとその後が大
変ですよ。どんだけお世話しないといけないかってことです。
それはもう物質的にも精神的にも多大なエネルギーが必要に
なって参ります。
20年ちょっとで独り立ちしたらそれで縁が切れるかという
とそんなわけはありません。死ぬまで親子の縁は続き、さら
にこの世の時間を越えて来世、来来世と縁そのものは続いて
ゆくんですね。
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肉体を与えるだけでもこれですよ。
ならば存在を与える生き霊だとかタルパだとどうなるんだっ
て事ですよ。子供だってね、親孝行の良い子ばかりだとは限
らないわけですよ。やはり親の面倒見が悪いとですね、深刻
な親子問題を引き起こすことだってあり得るわけですね。そ
して、親子の場合はこの世のあり方として、「親子の縁を切
る」なんて関係もあるんですけど、タルパや生き霊さんはど
うなんですかね?エネルギー的につながってたり、自分が作
ったという因果関係は無くならないわけですよ。
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そうしますと、作ったはよいけれど、その後生き霊さんやタル
パさんが人様に迷惑をかけるようになったら、エネルギー的な
因果関係からして何らかの責任をとらされるというか、エネル
ギーを回収されるような動きがおこってくるんじゃないですか
ね?
ですから生き霊さんの場合、(そういうケースはほとんど起こ
らないと思いますが)自然消滅するなら良いですが、最悪の場
合、生き霊が自分の想念を支配する、なんてこともありうるの
ではないでしょうか?
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ならば独立人格的な存在であるタルパさんだとどういうこと
になるのか?ってことです。
よほど是非判断の出来る性格を与えないと、とんでもタルパ
に成長して言ってしまう可能性がめちゃくちゃ高くありませ
んか?かといってタルパさんを呼び寄せて、紳士淑女に教育
できますか?
タルパさんがストレス感じて「うっさい!死ねこのくそ親」
なんて言い出さない保障はありませんね。そして恐ろしいこ
とに、タルパさんがそんな状態になったとしても、作ったご
本人はよく分からないですよね?
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