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呪文・真言関係データベース その5
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彩竜さん、おたずねします
南無妙法蓮華経は「なむ・みょうほう・れんげきょう」です。
しかし一般には「なんみょう・ほうれんげ(ぇ)きょう」と言われることが多く、
時に某団体がやるイベント???「**千回勤行」「**万回勤行」等、
また会館や寺院で各自の唱題、あるいは毎日のお勤め等、
数多く早く唱える時は、各一回が「なんみょっ・ほーれんげっきょっ」的に聞こえることもあります。
こういう変化は、南無阿弥陀仏にもあり、本来の「なむ・あみだぶつ」を
ほとんど「なむあみ・だぶつ」と、言っておられます、
さらに昔のじいちゃんwは風呂に入りながら、一日の感謝の意を込めて
「ああええ湯だ。なんまいだ・なんまいだ・なんまいだ・・・・・」なんぞと言ってたりしました。
これは、どこかのゆーれーみたいに割れたお皿を数えてるのでは無く、
財布のお札の数が知りたいのでもなく、「なむあみ・だぶつ」の訛化・・ですよねww
仮に表現として変ですが、正確な読み、発音を例えば書体の「楷書」と例えたら、
「・・げっきょ」や「なんまいだ」は、崩し字というか「行書」「草書」的なものとも言えます・
本来の形は崩れていても‥という事です。
さて彩竜さんは、いろいろな方のご質問に答える形などで、
「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」にも、一定の力・波動・エネルギーがあると
何度も述べられてきました。唱える事により、小さくはないそれなりの作用があると。
またそれらは信じている人が多いからだ。唱えている人が多いからだというご説明も多々ありました。
それでは、ここで言う「行書」「草書」的唱え方においてもそうなのでしょうか。
また数で言えばおそらく、一般大衆「草書」な人の方が多数で有ろうと推測出来、
となれば「草書」な唱え方の方が「力」があると本末転倒(←??)な事になっているのでしょうか。
私は「楷書」>「行書」>「草書」であって欲しいし、そうあるべきだとも思いますが、
しかし例えば先述のじいちゃんの本当に無垢な心よりの感謝の言葉であろう
「なんまいだ」が、全く神仏に届いていない、あるいは何割かの割引www的なものなら、
それはそれで違うとも思えます。
一方「楷書」こそ・・的考え方は、究極釈迦の話した古代インド語による発音発声によらないと
本当の力の発現は無いのだ・・的になってしまい、それも…となりそうです。
発音ではない、心こそが大事だ的姿勢・見解は、いい加減な唱え方でも、
ご利益はあるから・・となりそうです。
彩竜さんの、ご見解を伺いたく思います。
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