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『「生長の家」の教義について議論する』板

139a hope:2016/07/08(金) 10:15:17 ID:xVBwxesw

(>>138 ahope 所感)

Web「生命の實相」輪読会板に、法の精神さまが、ご紹介してくださったご文章についてですが、
もし、法の精神さまがこのご文章が「生命の實相」の真理と同じことを教示しているという意味で、
「生命の實相」輪読会板にご紹介してくださったのであれば、それは「『生命の実相』の真理とは全く違う!」と思うので、
少し説明させていただきます。

「生長の家」の基本の教えは、『唯神実相』です。
別の言い方をすれば、『実相独在』、『実相一元』です。

ですから、生長の家の「聖典」や「聖経」と呼ばれているものには、「現象なし」もしくは、「現象は影」「現象は非実在」と必ず説かれていて、
雅春先生は「実相世界」の次元から、わたしたちに真理をご教示くださっています。
だからこそ、聖典、聖経は『神さまのお言葉』であるといえるのだと思います。

ですが、雅宣先生のご著書やお経?は、常に「現象世界」の立場からの、二元論のご教示です。

特に上のご紹介のご文章ですが、「現象世界の不完全さを楽しみなさい・・・」というようにも解釈できてしまい、
これは「受難礼賛」にもつながりかねない間違った信仰だとわたしは感じます。

わたしは、「不完全な現象はない」と『実相独在』を貫くのが、まことの「生長の家」の信仰だと思っています。


参考文献
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1458007749/136

<<「現象は現象として在るのである」といって現象界を本体界に対立せしめたり、「本体界の自叙自展(じじょじてん)が現象界であって、本体界と現象界とは一如である、そして、現象界は本体界のうちに包摂(ほうせつ)せられるものである」というような在来の見方を脱しえないような宗教では、とうていそれは現実人生を支配することができないのである。
※ 本体界・・・実在の世界。実相界。(頭注より)
※ 自叙自展・・・みずからが自己の内にあるものを表現し、展開すること。(頭注より)>>

特に上の文中の、 

「本体界の自叙自展(じじょじてん)が現象界であって、本体界と現象界とは一如である、そして、現象界は本体界のうちに包摂(ほうせつ)せられるものである」

という内容は、

観世音菩薩讃歌の中の、

<<現象は時間と空間の制約を通し 実相が展開する過程なり。>>

は、ほぼ、同じ内容だと感じます。

とても残念ですが、「聖典」の説明によれば、雅宣先生の「観世音菩薩讃歌」をいくら読誦しても、
『とうていそれは現実人生を支配することができないのである。』という結果にしかならないと思います。


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