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『web「生命の實相」輪読会』 板

81a hope:2016/05/02(月) 21:09:56 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第26巻 p3 後から4行目〜

さて、しばらくぶりで皆様のお顔を拝しまして、何をお話しようかと改まりますと、何もお話することもないのであります。

要するに言うことなしにただ嬉しいというのが、われわれの生命の実相であります。

生命の実相というものは説こうと思って説けるものではない、ただ、ありがたい嬉しいものであります。

ですから、われわれが自分の生命の実相を悟りまして、それを生活に生きるということになりますと、ただもう生活が嬉しく明るく、家庭が円満に、見る物皆楽しくなってくるのであります。

ではどんなに生活が変わってくるかといいますと、どんなにも変わってこないのです。

やはり朝起きると顔を洗うのであります。(笑声)

そうして神様を拝む習慣の人は拝まれるでしょうし、あるいはご先祖を拝む習慣の人はご先祖を拝まれるでありましょうし、そしてその次に御飯をおあがりになる。

やがて出勤する人は出勤する。

外形を見ていますと生命の実相を悟っても悟らなくても同じことをなさるのです。

いっこう変わりがない。

変わりがないけれども変わりがあるのがこれが悟りであります。

変わりがあるのはまだ悟りが足りないのであります。

よく自動車にでも轢かれて、轢かれたけれども怪我しなかったからありがたいといって、これは「生長の家」のお蔭であるといって、わたしにお礼に来られる人がありますけれども、それはなるほど轢かれて怪我をしたり死んだりするよりはありがたいにちがいありませんけれども惹かれない人はもういっそうありがたいのです。

ところが「轢かれたけれども怪我をしませんでした」といってお礼を言う人はあっても、「先生、わたしは自動車に轢かれませんでした。ありがとうございます。」と言う人はほとんどいないのであります。

本当の悟りとは何事もないことがそのままそれが本当にありがたいということが分かるのでなければなりません。

悟りというものはなんの変哲もない、なんの変哲もないものが悟りなのであります。

何かあると思うのはまだ悟っていないのであります。


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