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『web「生命の實相」輪読会』 板

59a hope:2016/04/19(火) 09:26:45 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第25巻 p119 4行目〜

こういうように天災でも、心が光明に輝いている人には近づくことはできない。

近づいてもまたその人を害することができないのであります。

かの『観音経』には「あるいは巨海に漂流して竜魚諸鬼(りゅうぎょしょき)の難あらんにも、かの観音の力を念ずれば、波浪も没すること能わざらん」とありますように、われわれの心が光明に輝いてきたならば、どんな天災でもわれわれを害することができなくなるのであります。

天災はのがれることができないと考えるのは、大雨や、暴風や、地震はやはり物質でできていると思うからであります。

そんな程度の唯心論では決して唯物論を根本から破壊することはできない。

大雨も暴風も地震もことごとく唯心の所現であり、業の流転作用でありますから、観音妙智力、すなわち光明思想によって解脱してしまうことができるのであります。

それが理論だけならばなんにもならないのでありますけれども、理論だけでなしに、かくのごとくこれを多くの誌友によって実証させるのが生長の家であります。

観音を念じるというのにはただ観音さんどうぞ助けてくださいということではない。

観自在のその大自在の生命とわが生命と一つであるということを知ることなのであります。

自分が観世音であり、自分が如来であり、自分が神と一体であると知る。

そして環境はただこの自在の生命が念(おも)いによって自由に仮作(けさ)した世界であると知る。

この大自覚を得て自由に環境を征服しうるようになった時、われわれははじめて「人格の自由」というものを得るのであります。

この時「人格の自由」は単なる抽象でも理論でもなく、そのまま「実践」となるのであります。

物的環境がどうあろうともそのままで自分が自由の主体であるということがわかり、欲するとおりに環境が光明化されるといたしますと、もう戦争や直接行動などやっている必要もなくなるのであります。

時間がまいりましたからこれで失礼いたします。

―――昭和十年八月十一日大阪中央公会堂における講演――― より抜粋


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