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『web「生命の實相」輪読会』 板

54a hope:2016/04/17(日) 09:22:02 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第25巻 p101 後から6行目〜

人間の実相は神の子である。仏子である。生きとおしの生命であるというようなことは「生長の家」の発明でもなんでもない。

古くから善き宗教はほとんどそのいずれもが口をそろえて説いてきたところであります。

では「生長の家」はどこが違うかというと言葉の力、文章の迫力がちがうのであります。

臨済(りんざい)の一喝といって臨済禅師の一喝をくらうと悟る弟子が多かったという。

一喝にもいろいろあって、耳で聞いたら臨済の一喝も凡僧の一喝も同じかもしれない。

しかしその一喝の中にこもっている生命は、その喝をくらわす指導者の悟りの程度にしたがっていろいろの段階があるのであります。

それで「生長の家」で説くところの宗教的真理は、多くの善き宗教の神髄をなしている宗教的真理と同じであり、むしろ多くの宗教の説く真理に開眼を与える底のものでありますが、どこがちがうかというと、文章によって一喝を与える点であります。

本を読めば病気が治るのもこの随伴的結果なのであります。

この生命の実相というものは、今までは文字言語のよく説くところではない、言詮不及(ごんせんふきゅう)、不立文字(ふりゅうもんいじ)であると言われていた。

それを文字を立て、文章を立て、言葉の力によって生命の実相を悟らせるようになったところが生長の家の独特なところであるのであります。

今までは真理と言葉が二つに分かれていて、言葉や文章は真理を完全にあらわすものではないと思われていた。

ところが生長の家では言葉と真理、文章と実相とをピッタリ一致させた。

古来、直接説法、以心伝心(いしんでんしん)でないと悟ることもできない真理を、ただ文章を読むだけで悟れるように、文字の中に生命あり、生命の中に文字あり、文字と生命とを一体というような域(いき)にまで達せしめたのだろうと思います。

さればこそ本を読むだけで、直接参禅しても得られなかったような悟りに到達する人が多勢(おおぜい)あらわれてきて、その影響を及ぼすところ、肉体の病気も治り境遇環境まで変化してくるということになってきたのであります。


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