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『web「生命の實相」輪読会』 板

199a hope:2016/07/30(土) 19:07:39 ID:vdNCBnG6
十一、吾らは自己の好む所を他に施し、自己の好まざる所を他に転嫁せざらんことを期す。

【第十一条 説明文の抜粋】  副題「まず自分に深切であれ」
「生命の實相」第28巻 p43 

この「生長の家」の生き方はどこから出てくるかと申しますと、われわれの実相から出てくるのであります。

自分の好まないところを他人(ひと)に施さず自分の好む所を他人に施す、これは実践道徳上の最も根本となる指導方針であります。

生長の家では「自分に深切であれ」という金言があります。

世間普通の道徳では「他人に深切であれ」というのでありますけれども、生長の家ではまず「自分に深切であれ」というのであります。

キリスト教の聖書にも「己を愛するがごとく神を愛せよ」あるいは「己を愛するがごとく隣人を愛せよ」というような言葉がありますが、この聖句を考えてみますに、「己」というものが、神を愛し隣人を愛する基準になっているのであります。

神を愛するのも、己を愛するのも、まず「己を愛するがごとく」でありますから、もしわれわれが本当に自分を愛することができなかったならば、本当に神を愛することも、また本当に隣人を愛することもできないのであります。

それで、われわれの道徳の根本原因になるのは、いかに自分を愛することができるか、という程度にあるのであります。

それでは「自分自身を愛する」とはどういうことであるか、と申しますと、自分というものを最も尊敬すること、自分の実の相(すがた)を本当に知って尊敬することであります。

自分の実の相が神の子である、あるいは仏の子であるということを根本的に知ることこそ、自分を本当に愛するということになるのであります。

普通世間の人は「自分を愛する」といえば、自分が金儲けするとか、あるいは地位や名誉を得るとか、そういう利己的なことで得をすることを「自分を愛する」ことだと思っていますけれども、それは本当は自分を愛するものではないのであります。

自分自身を愛するということは、自分自身を最も大きく観るということであります。

この自分自身を最も大きく観ることができる人にして、はじめて他の人をも愛することができるのであります。

自分を愛する程度にしたがって本当に他をも愛することができるのです。

人間なんてつまらないものだと考えて自分を軽蔑している人は、その同じ人間であるところの他人をも軽蔑する人であります。


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